サイゴン。現ホーチミン市。こりゃ北に都ハノイよりバイクがものすごい。これね、輩ですよ。もうほんと暴走族。おじいちゃんもおばあちゃんも、中学生くらいの子もバンバン飛ばしてる。みんな小さいころから『特攻の拓』読んでるだろうし、『湘南純愛組』は各個人の家にコンプリートしてる。『ヤンキー烈風隊』とか1世代前の渋めなの読んでる可能性もある。そして『頭文字D』とかは絶対読んでない。車の数がマイノリティすぎる。集団暴走の数がはんぱない。ホーチミン中がバイクであふれてる状態なんす。
そんなくだらんことは置いときましょう。上のこの写真の彼、だれだかわかりますか?一人のぽっちゃりテンパボーイはまあオレとして、もう一人の人、実はベトちゃんドクちゃんのドクちゃんです。今はドクさん。結合双生児として生まれたグエン・ドクさん。
ベトナム入ったときから彼の存在を意識してて、小学生の時観たドキュメンタリーの記憶と言えどかなり鮮明に残ってる感情。大学でドキュメンタリーを勉強しようとおもったきっかけのひとつに確実になってる存在。前々からベトナムのサイゴンに住んでるって情報だけは聞いてた。
それでサイゴンに来て、情報ゼロから探してみた。ビザもギリギリだったので、3日間だけの滞在の中、動けるだけ動いてみた。朝から晩までバイタクに聞きこみしたりツアー会社に聞いたり。だからサイゴンでは観光っぽいことはまるでしていない。そしてフエは雨季で寒くて、ここサイゴンにいっきに来てかなり扱ったけど動けるだけマジで思いっきり動いてみた。
そして、人間やる気になればなんでもできるもので、願いが叶ってドクさんにお会いすることができました。お仕事中に忙しいにもかかわらず時間をとりつくろってい ただいてアポを取らせていただき、翌日ドクさんの家へおじゃまさせていただきました。奥さんがすごくきれいな方で、結婚記念日とオレの誕生日がなんと同じ。1時間程 度でしたがお話できてとても有意義な時間をすごせました。いやぁ引き合ってるわ、旅っつーやつはまったく。感動させますねぇ。
そこで俺はドクさんに、ドキュメンタリーを勉強してたこと、今も撮ってることを伝えた。そしてそのきっかけは自分が病気だった経験。それがあるから今があることをお伝えした。それからドクさんは話してくれた。ドクさんは現在、仕事とは別にボランティア施設をやっているらしい。枯葉剤被害者を援助する施設でも働いていると教えてくれた。自分が枯葉剤被害者ながら、さらに被害者の援助を。そして日本との架け橋としてもメディアに登場したりと大忙しだという。何よりすばらしいのがそれを実際に実現させているということだ。それ聞いてうれしくなってテンションあがって、ミーハーかもしんないけど握手させてもらった。その後、俺はドクさんに僕もすばらしいものを作っていくとお伝えした。
完全にミーハーなんだけど、その後サインとメッセージを青春パンクノートに書いていただいた。ベトナム語だからなんて書いてあるかはわかんないけど、それは旅が終わってから日本帰ってからの楽しみにしている。当然帰り道はウキウキだ。こういう経験がカテになる。ポイントなんだ。メッセージの最後にカタカナで『ドク』って書いてくださった。ドクさん、ありがとうございました。
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