飛行機でバンコクへ戻るために国際空港のあるヤンゴンへ戻ってきた。俺はほっんとうにもっとミャンマーにいたい。別れたくないよー、ミャンマーちゃんぐーすー。いつもこうだ。国を気に入りすぎる。いままでビザが切れる以外の理由で国を離れたのは拠点バンコクだけ。それでエアエイジア、帰りの航空券を金だしたら延長できるって聞いてビザぎりぎりまでいよっかなって考えてたけどそりゃダメやねん。壊れたビデオカメラも直さないとならないし、この旅には先がある。くっそー。いっつも自分が2人いたらいいなんて現実的じゃないこと考えてしまう。一人をミャンマーへ残し、もう一人はバンコクそしてインドへと向かう。日本で合体しようぜーなんて約束して。まったくドラゴンボールの読みすぎだ。ピッコロと神様。
前にヤンゴンへいた1月1日。おれはあるところへ足を運んだ。2007年にフリージャーナリストの長井さんが反政府デモの中で殺されたとされる現場。長井さんはどういうところで殺されたのかを知りたかった。ゲストハウスのスタッフにちらっと聞いてたらだいたいの場所を知っていて教えてもらって歩いて向かった。そこはまったくもって長井さんがそこで殺されたという跡を感じさせることを許してくれない。というかはじめは長井さんが倒れてたあの有名な写真の場所がどこだか、ほんとうにここであってるのかわからなかった。偶然話しかけてきてくれたミャンマー人に場所を聞くとここだと言って教えてくれた。彼が教えてくれなかったらわからなかった。ミャンマーはよく停電をする。そのために店など電気が必要なところはジェネレーターを使っている。そのジェネレーターの前に倒れてたんだって教えてくれた。ここか。花も添えられず、なんの跡すらない。これが。俺はそこでお悔やみを申し上げた。たしか長井さんが殺されたところを撮った写真はピュリッツァー賞を撮っている。
そしてもうひとつ。アウンサンスーチーさん。去年、風穴が教えてくれたんだけどアースデイでいとうせいこうがフリーアウンサンスーチーフリーと叫ぶ映像をみた。その力強さにおどろいた。そして彼女のことを詳しく調べ始め、その彼女に会ってみたいと思ったが、はっきり言って俺なんてとってもじゃないけど会えない。ベトナムで会ったドクちゃんの時とはわけが違う。ドクちゃんの時だって運がよかっただけだし。ここは政府がからんでいる。軍ですよ、軍。だけど、家だけでも見れるって情報を聞きつけた。タクシーに無理言ってお願いして、通りすぎるだけだと約束で同意、そこへ向かった。そこには100mくらいゲートが引かれ兵隊が立っていた。そおっと内緒で写真を撮ろうとすると「STOP!STOP!STOP!」と怒鳴られあまりに本気な声だったのですぐにやめた。ごめんなさい。それだけこの国ではアウンサンスーチーさんはタブーなんだ。
軍事国家ああ軍事国家。外国資本がほとんどなく鎖国していうような国。だからこそ人々は元来の姿のままでいられている。それは俺がそういう風に感じたいだけなのかもしれない。軍事国家、それがいいのかわるいのか。軍事国家、武力で国を治めてる。軍事国家、ネットも発達した現代の世界では必ず無理が生じてる。それでもミャンマーは、、、いや、ミャンマーという言葉も軍事政府がかってにかえちゃただけなんだって。もともとは「ビルマ」。それは「ニホン」と「ニッポン」みたいな読みの差だけらしいけど、国名を急に変えられるって俺ならすごくいやだ。違う国になってしまう。都市の名前もことごとく変えられた。ここヤンゴンもちょっと前までラングーンだった。ちなみに地球の歩き方の表紙は「ミャンマー(ビルマ)」となっている。それに国民はそれを求めてないだろう。そうだね、言い直す、、、それでもビルマの人は温厚で、ここはこのたびで一番心が安らんだ場所だった。またくるよビルマ。変わっっていくのかなビルマ。楽しかった!ありがとう。じゃす!
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