ついにきました。ミャンマーです。バンコクの空港から約1時間のエアバス。距離的には近い国だが感覚的にはとても遠い国だ。ほえーる、軍事国家。おととしのデモでジャーナリストの長居さんが殺されたのも去年サイクロンが起きたのもそんな昔の話じゃない。
小さいことだけど空港でまず驚いたのが国際空港の中にあるTAXIカウンターでディスカウントができたこと。そして外に出るとTAXIの運ちゃんがたくさん いて、どっちにしても俺がダウンタウンまでTAXIで行かなきゃなんないから安く行ってくれるTAXI探してたら、2回目に聞いた運転手が、「俺は君の言 う金額じゃ行けないけど他になら行ってくれる人いるかもしんないから探してくるよ」って言ってどっか行っちゃった。えっえっ!?ってきょどってると、15 分くらいして帰ってきてほんとに見つけてきてくれて。その人に安い値段でダウンタウンまで連れてってもらった。別に安値で行ってくれたからやさしいって言いたいんじゃないですよ。そして今回陸路じゃなくこのたび初めての飛行機なのだが、一気に飛んでくると別世界にきたという実感をTAXIひとつだけどはじめに教えても らった。
空港出たときからなにか気持ちがいいんだ。天気っていうか光。金色に近い少しオレンジ懸かった黄色。色が心地いい。きっとこの光のやさしさなんだろう、ミャンマー人のやさしさ。初めて沖縄に行ったフェリーから一歩外に出たときのあの感覚に似ている。
ダ ウンタウンに到着。この街には東南アジアの顔と中国の顔とインドの顔が混ざっている。街の構図は碁盤目状に整理されているのに路上の上は決して整理しきれ ない。さまざまな顔。喧騒。日本から来た中古のバスが道路を行き来する。一番多いバスは我が乗り物、神奈川中央通交のオレンジ黄色のバス。通称カナチューバ ス。子供向けのキャラクターを描いた「かなちゃん号」も走ってる。そしてここミャンマーはかなりの割合で日本語で話しかけられる。なぜかってミャンマーの 学校では第二外国語で日本語を習うんだって。英語が第一外国語。ちなみにミャンマーにはイギリスのに支配だれてたときと大日本帝国に支配されてたときがあ る。
31日。そーなの年越しです。せっかくバンコクで買ってきた年越し そば。これをひとりさみしくミャンマーの窓のない部屋ですすっても、ほんとうに年を越せるのかって疑問と不安。って思ってたらG.Hにひとりの日本人。 「年越しそば食べませんか?」この問いかけに誰もが食いつく確信があった。その人、もうだれもいないから寝ようと思ってたんだって。危ない危ない。寂しい ときはお互い様。そば茹でーの、つゆ薄めーの、氷いれーの、そばにノリかけーので「ゆうちゃん年越しそばぐーす(上)」の完成。
まだ出会って30分もたってないのに、今年はどうでしたーなんて形式的な話もここミャンマーで出会ったんだからそりゃ形式的じゃなくなるでしょ。G.Hのスタッフのビルマ人も呼んで一緒にズルズルすする。ってはい!この旅もいろんなことがあったけど無事年が越せるみたいです。
それからチャウナタウンで中国人恒例、新年のBACK-TICKをやるみたいだからっていう噂を聞き付けて年をまたぐ瞬間はそこで迎えようって深夜に出向くことにした。ここミャンマー。おおみそかの夜だってののぜんぜん人がいない。店も閉まっちゃってて暗い。テレビではカウントダウンもなく日本で平日の深夜2時くらいから やってそうな映画が年をまたいで放送されてる。そうそう、ミャンマーのニューイヤーは4月なんだって。水掛祭りをやるんだって。そのときは10日間くらい 休みがあってかなりの盛り上がりをみせるって言ってた。
だっ たら中国人のいるチャイナタウンに期待。ここもやや人を見かけるなーってかんじでほんとに爆竹やるのかなって。まぁとりあえず一杯飲みますか、シメでっ て、ちょい高級なチャイニーズレストランに入ってミャンマービアーで乾杯。そしたらやや若干だけどウエイターたちがぎこちなく時計を気にしだした。そした らいきなりワーって言ってマジでノリ切れない年明け。うんたぶんあれが年明けの瞬間。それくらい盛り上げってない、「ワー」だった。うん、年明けです。て か爆竹もないじゃーん。まっ、軍事国家だしね。爆竹やって爆弾かなんかと間違えかねない。そこは中国人もご遠慮。グッバイ2008。
次の日が元旦。ここミャンマーで書初めしようっていうオツな企画。バンコクで買った習字道具。うっかり機内持ち込みの荷物の中に墨汁入れちゃってて、これな んだ!?って空港でなって没収させられちゃった。ギザくやしす。墨汁うばった怖いおばちゃんがひそかに書初めしてることキボンヌ。だから俺は心の筆に心の 墨汁をつけて心の半紙に書いたんだ。「旅が無事に達成できますように」って。終わり方さむ!じゃす!
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