2008年12月13日土曜日

カンボジア・プノンペン オシリペンペン

ベトナムでドクちゃんに会えたという余韻を残しつつ、カンボジアのプノンペンへ。ここカンボジアのイメージ。地雷、ポルポト、少女売春、そしてうちの大学の大石芳野先生。大石先生以外のイメージはどんよりとした悪いものだ。いやいや辞めよう。先入観はなるべく捨てましょう。ではカンボジア入ります。








てかてか、これとてつもなくアホなんだけど、ミャンマービザが切れそうなんです。最近まで取得するのが難しかったミャンマービザを中国昆明で運良く取れたんだけど、これが計画性のなさでね。とんだアホですアホウです。だけど計画性なんてね、大事だけどその場所に対しての興味があるつづける限りそこにいたいじゃん。それども俺の運がいいのはここプノンペンでもミャンマー大使館を発見できたこと。イチカバチカでこのビザの期限ってやつ延長できないでしょうかって聞きに行く。日本のモンゴル大使館では、いいよーって言って正式にプリントされたビザの上から近くにあったボールペンでささっと期限を書き直してくれた。だからミャンマーもできるかなって思うのが甘いんだよね。ムリですの即答。でもそしたら新しいの作ってあげるよってことになって申請することにした。なんで、1泊で出るつもりのプノンペンに3泊することになった。








キリングフィールド。


名前の通りポルポト時代に大虐殺が行われていた場所だ。はじめにそのエリアに入って目についたのは中央にそびえ立つ塔。ここで殺された人たちの頭蓋骨の塔だ。その数8000個以上。なんてものが世の中に存在してるんだ。あまりにも現実離れしている。まるでおもちゃみたいに見えるそのガイコツ。頭の部分になにかの鋭器で貫けれただろう穴が開いてるもの。いったいなんなの。そんなのがずらっと並んでる。塔の周りはうっすらと芝生は生えていてそこに無数の穴ぼこがクレーターみたいに空いている。ここにこのガイコツたちが埋められていたんだって。当時のものだろうボロボロの衣服も散乱している。俺は入院していたときの記憶が薄れていく。必死に生きようとした気持ちが崩れおちそうになる。







今回、旅を始めてから一眼レフが面白くなって「あっ!」かんじたものを写真に収めてきたが、死体を撮ったのはここが初めてだ。しかも一度のシャッターで何人もの死体が写真の中に入り込む。ガイコツだって死体なんだ。まるでおもちゃみたいに見える。そんくらい現実離れした光景と現実離れしたことが実際この場所で行われていたんだ。想像することすら俺は嫌だ。もうここにいたくない。白人の女の子が大声で唸り泣き出したのを見て、逃げるようにしてこの場所から出て行った。









ストゥーレーン刑務所。


ここはポルポト派による収容、そして拷問が行われていた場所。キリングフィールドでふらふらだった俺にいきなりとびこんできたのは手の無い人、足の無い人、顔がつぶれた人。マネーマネーって。そこからも逃げるようにして中へと入っていってしまった。当時のまま残されたベットが置いてある部屋の壁にはここで拷問された人の変死体が写る写真がかけられている。ベットの下には黒い染み。血だ。ベットを触ってみるとものすごく冷たいのはあたりまえなんだけど、吸い込まれるっていうか、怖くなってすぐに手を離したのにぬめっとした違和感が残り続けた。そしてここは元は高校だったという。それを改造して拷問刑務所にした。ほかの教室を行くとずらりと並べられた証明写真。殺される前に取られた写真。殺す前に証明写真を撮る。そして撮られる。いったいどういう気持ちだ。無理矢理作られた真顔の写真からは苦痛の渦が伝わってくる。子供の写真。もう見てられない。拷問器具の展示なんてすっ飛ばして俺は出て行った。




74~79年。ポルポト政権。カンボジア0年。そんなに昔の話じゃない。おれの5個上の人たちはもう生まれてる。アジアという日本と同じ場所で現実離れした出来事が起こっていた。そして今も元ポルポト派だった人たちもここカンボジアで生活しているんだろう。今日乗ったバイクタクシーのおっちゃんも、隣で飯くってる人も、身近にそうやって共存してるんじゃないかな。あんときは逆らったら俺も殺されてたから恨みっこなしだって言ってもムリな話だろう。








カンボジアで会った一人の青年が言っていた。あのときカンボジアで内戦がなかったら今のカンボジアというアンコールからの歴史ある国は隣国の乗っ取られてなくなっていただろう。そういう意見もあるってことか。どよめく感情の渦。この国はいったい。

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googler さんのコメント...
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