2008年10月31日金曜日

中国・西双版納 東南アジアへのさわり




麗江で最後に仲良くなった台湾人と別れ、麗江バスターミナルへ。ここから湿気を求め東南アジアに行く前に、西双版納というところに行く。ラオスとミャンマーの国境の町。麗江から24時間かかると言われてたのに16時間でついたのは運転手さんが飛ばしまくってたから。もう超速えぇ。こえぇっつーの。運転手さん、大事なのは時間じゃなくて命です。








最近ずっと寒いところにいたし、今年は夏っていう夏を体験してないから、暑さっていうのを求めてた。どうやらここ西双版納(シーサンパンナ)は暑いらしい。湿気を求め、手で顔をパタパタやって、あっちーあっちーぼやきながら雰囲気だしてバスを降りる。いやんこれマジで暑い。てかなんかスイカのにおいするー。カブトムシのにおいもするわ。そういえばガイドブックにここ西双版納は昆虫とフルーツで有名な町って書いてあった。やべー、おれの期待してた夏がここにあるじゃねぇか。








バスターミナルからでて、もっと夏を味わいたいと、スイカを探す。そうそう今年はスイカ食ってないんだよねー。スイカ食いたい!バックパックを背負って汗びっしょりになりながら探す探す。でもない!マンゴーとかドラゴンフルーツとか南国っぽいフルーツあってもスイカがない!においがするのになんでや!1時間くらい探しまわったあと、原因わかりました。








スイカのにおい、俺のTシャツからしてました。ついでにカブトムシのにおいも。そうここは熱帯気候に属しています。








だって最近風呂はいってなかったもん!日本という小島ではシャンプーのにおいしてたゆうちゃんぐーすも、大陸の旅中はスイカよ。なんならおいしそうだからね。フェロモン的やん。おっけーっしょ!?









はいそしてここ西双版納。ラオスとミャンマーの国境沿い。漢族だけでなくタイ族、ハニ族、プーラン族、ジノー族、ワ族、ヤオ族、ラフ族などの少数民族が多数いる町。人も違えば町も違う。北京なんかとはぜんぜん違う。ヤシの木いっぱいある。街中でも中国語で書かれた看板の上にタイ語かな?それで書かれている。カオス的。このかんじ好きだわー。








町を散策して外国人目当てそうなカフェにわざわざ入って注文。朝ごはんはマンゴーシェーク。ギザうまし!マンゴーって超おいしいよね。新宿のカフェでバイトしてたときもまかないでマンゴージュースばっか飲んでたし。ほんとおいしい。元気いっぱい!コーヒーよりマンゴーのほうが安いってどういうことや!南国!









そのカフェにバックパックを置かせてもらい、またバスに乗り込む。2時間かけてけっこうな田舎に到着。一面田んぼ。ここには西双版納で一番有名なタイ族の仏教寺院がある。タイ族寺院の建造物の中でも最高傑作のものらしい。それ絶対みたいって!ってわけじゃない。俺は日本にも中国にもあんまない上座部仏教ってやつがみてみたかった。東南アジアの仏教だ。旅で知り合った人にヴィバッサナ瞑想ってのをおしえてもらって、そのさわりを知りたかった。ヴィバッサナ瞑想ってのはブッタが悟りを開いたときにやっていた瞑想法なんだって。その上座部仏教ってのはどんなもんか知りたかった。けど正味実際わかんなかったわ。あんまお坊さんいなかったし。もっと勉強が必要ですね。








そんで腹減ったから近くにあった麺屋さんによって麺食う。そしたら東南アジア系の顔した店員さんが日タイ会話辞書持って中国語で話しかけてきた。どういうことやねん。日本語の需要があんのかな。なぞだぜー。このなぞも、上座部仏教のことも、ここで得たさまざまな疑問を東南アジアに持っていく!









バスで市内まで戻っておさんぽ。ここで思ったのは金持ってそうな町だなーってこと。きれいに町並み整備されてるし。モンゴルとの国境の町二連特浩でも思ったんだけど、国境沿いの中国の町って金持ってる。二連特浩に関してはいわゆるアキバでいうメイドさんの服を着てるお姉さんもいたからね。あれはびっくりしました。そりゃ金もってる証拠っしょ。









それにしてもあちー!バックパックをとりにいってそのまま深夜バスにのりこむ。ここでは一泊しない。このまま棚田で有名な場所元陽に行く。そう!スイカのにおいはまだまだ継続中!じゃす!

2008年10月27日月曜日

中国・香格里拉 シャングリラお坊さん



雲南省の北西。デチェンチベット族の中心地シャングリラ。中国語で書くと香格里拉。麗江で出会った元幼稚園の先生と共に北へ西へ山を登るべく行ってきました。標高3276mの街。実際ちょっと苦しいよね。なんか朝目覚めたら息苦しい。高山病対策は必然。てかなんてったって名前がかっこいい。理想郷よ、理想郷。うひょー!でもホントは元は[中旬]って名前だったんだって。それを中国政府が2002年にかってに変えちゃったんだって。[失われた地平線]という小説の舞台になった理想郷はここだって主張して。ってことは俺が16歳の時にできた理想郷。どんなもんだい?






大理、麗江ときてここはとにかく寒かった。2泊したけど最終日には雪が降ってた。気温でいったら理想郷では全然ない。水凍ってたしね。カちんこチンに。シャワーでねぇし。








そしてここはチベットの人たちが住んでいる。街あるいてるとエンジ色の袈裟を着たお坊さんが普通にバスまってたりする。古城から少し離れた、雲南省のポタラ宮と呼ばれる松賛林寺へ行ってきた。ポタラ宮とクリソツで山の斜面にそびえ立つ寺。エンジ色の袈裟を着たお坊さんがいっぱいいた。寺の中に入り、お坊さんの唱えるお経を聞いていた。なんかお経って落ち着くわー。寺修行の時からなんだけど、ほんっと寺の雰囲気が好き。こっりゃ前世は木魚かなんかかもしれない。そんでぼーっと聞いてたら日本人か?ってそのお坊さんが聞いてきた。そうです。というと急にめっちゃうれしそうに、ここすわれーって言って五体投地するときの座布団みたいなのに座らせてくれた。それでお坊さんは俺の頭に自分の頭をくっつけてなにか唱えて、その後首にカラフルなヒモをかけてくれた。なんだか頭がすっきりした。神聖な気持ちになった。








その後、そのお坊さんはジャパンジャパンと言って、すごく日本を好きでいてくれているみたいだった。寺をでたあとも、若いお坊さんにりんごもらったり。俺は別に日本を代表しているわけではないし、もちろんチベットについての活動もしてないが、俺がたんに日本人というだけでたくさんよくしてもらった。そして寺にいたお坊さんは日本はマルだけど中国はバツだと言っていた。








そして次の日の朝。めしくってるとき、急にエンジの服を着たお坊さんが店の中に入ってきた。なんだろうと思うと、めしくってるにもかかわらずいきなり金を要求。しかも金額指定。四川の地震の写真を見せられ、でもいまめしくってるからさって言ってもしつこくしてくる。なにもわからないまま金だけ要求。店員さんに言ったら、まるでこじきをおっぱらうようにそして逃げるように去っていった。そのあと、なんもなくただたんにお金ちょうだいって言ってきたお坊さんも来た。









なんだろう。この辺の地域じゃあたりまえなのかな。でもたとえ健全は募金活動のいっかんだとしても、少しイヤな気持ちがする。もしこの人たちにお金をあげていたらなにに使われていたんだろう。とにかくしつこかった。そう思われてもしかたないんじゃないか。だから渡さなかった。この日観光客相手に同じことをしていたこの2人を何回か見た。








フリーチベットフリーチベット。日本ではファッションのようにやっている人もみかける。それがいいのかわるいのかは決められない。そして金を要求してきたこの人たちははたして本物なのかニセモノなのかはわからない。どっちにしても俺はあんまり良くないことだと思う。寺にいたお坊さんと金を要求してきたお坊さん、どっちも現実だ。こうやって、理想やイメージじゃない現実のいろんなお坊さんを見たい。自分で確認したい。そしてラサ行きたいけどここからは検問がきびしくて今はいけそうにないらしい。ねぇチベットいけるの?最新の情報ちょうだいよ!くそー!ラダックかこりゃマジで。今はチャンスをうかがう。





あー寒い!!雪冷たい!!息苦しい!!麗江戻ってきました。これからビルマとラオスとの国境の街、シーサンパンナへバスで行こうか迷ってるとこ。24時間バスのるのきつそうだけどがんばろっかな。今は喧騒と湿気を感じたいから。生を感じたい。そして旅人のメッカ東南アジアへ。元陽、河口ときて、いよいよベトナムだ!じゃす!








リージャンのパソコン日本語打てなくて、Ajaxってソフトを使って頑張って書いたんだけどそんなことどうでもいいか。この曲を聞いてお別れ。

2008年10月22日水曜日

中国・麗江 タイガーリーピング




はいさい、ゆうちゃんぐーすです!日本は寒いですか?そろそろボーイズたちはクリスマスの準備ですね。ガールズたちはぼーっとそれを期待したいですね。ぼくのクリスマスはどうなるやら。なにか最近は民族フェチです。民族ギザかわゆす。どうもっす。








さて、大理石の街雲南省大理をつきぬけ、雲南省麗江にいます。
ここ麗江古城は世界遺産。
ハヤオミヤザキもクリビツでこの街並みを千と千尋の神隠しのモデルにしたって話。そしてユウキオオノは千と千尋の神隠し観てないって話。ちゅらさん観ないで沖縄行った菊池の気持ち。じゃあどうしよっか?神隠しにでもあいに出かけますか。じゃす、えっ、ここはどこ?








まじでゆったりした大理からの離脱。麗江では虎跳峡(タイガーリーピング)っていう山へ4泊5日かけてトレッキングしてました。山ごもり再び。虎が跳ぶ峡。いやいやそんなもんじゃない。長い年月をかけてでっかい山と山がぶつかってその間にでっかい川が流れてそれをでっかい虎が飛び越える。そしてそれから長い長い年月が経ってからオレというタイガーがそのくずれそうな崖を登る。体の左側は山、右側は太陽。まじ右側だけ日焼けで痛い。









4泊したどこのゲストハウスもよかった。雪山がめっちゃ近くに観える。ナシ族のおばさんが作る雰囲気。ご飯もおいしい。満天の星空は満点。流れ星びゅいんん。だからゆっくりゆっくり山登り。一緒に上った3人の友達もいい人たち。一人は本物のラスタマン。そしてオレと似た境遇の持ち主の画家さん。尊敬できる考え方をこの人たちに学ばせてもらった。いままで疎かった考え方にめぐりあえた。ありがとう。








さて最高だった山から古城へ戻り、つかれた体をいやそうとマッサージに行った。なかへ入って一番安いコースを選んだら変な個室につれてかれてパイオツねーちゃんが入ってきた。目のやり場に困ってるとこの人パイオツでかいなーなんて思いながら初めて入った中国のマッサージ屋さんってこんなかんじなんだねーなんて考えてたら、、、あぶねー、やられるとこだった!超淫乱なお店だった!やられる前にお金ないっていって飛び出てきた。実際お金もなくてよかった。中国め、うかうかマッサージにも入れないぜ。てか超びっくりしたよ!あぶねー!なんで世界遺産の中で風俗産業やってんねん!千も千尋もびっくりだわ!



つーかんじで麗江、昨日の夜を終え、本日経ちます!たぶん!目指すはシャングリラって場所!あれはぎりぎりチベットなのか?どうなのか?そこからチベットへは行けるのか?いざ桃源郷へ!じゃす!

2008年10月11日土曜日

中国・大理 無為寺 カンフー修行




中国雲南省大理。大理古城を見下ろす蒼山をドラゴンボールで悟空とクリリンが亀の甲羅を背負って登るべく、俺は背中にバックパック、前には機材バックを背負って登る。今回の旅史上、一番体力的にきつかった。




俺が悟空で、寺に向けて山を登るときに出会って寺まで案内してくれた同い年の坊主の青年(出家中)がクリリンだなんて気取っていました。正直はじめはこんな感じ。大理でのゆったりした生活に区切りをつけるべく山篭りを決めたんだけど、楽しむことは楽しもうと。汗びっしょりになりながらこれから始まる修行にむけてさ。映像勉強してるよー、とか言ったら、僕は日本のドラマ東京ラブストーリーが好きだなんて会話しながら。話もひと段落して、そしたらいきなりその彼が言った。








彼「日本で歴史は勉強したか?」

俺「うん」

彼「70年前の中国と日本の戦争を知ってるか?」

俺「う、うん」

彼「I want to kill here.」








もう何も言えなかった。いきなりいわれた。これ言われて対話できるような英語力は持ってないし、バックパックが重すぎて話にならない。そのまま無言で山を登ってると、その彼は俺が前に背負っている機材バックを持ってくれて、そのまま一緒に登っていった。俺は山を登るのが精一杯。彼はそんな俺をきづかってくれて、荷物を持ってくれて、休んでる俺を待ってくれて。複雑な感情。きっと彼も複雑な感情。出家中の彼から見たら俺なんて旅中に短期間の修行にきた日本人。そして日本人である俺の前の前の世代くらいの人たちは彼の前も前の世代の人たちをたくさん殺した。しょっぱなからこういう事態になるとは思っても見なかった。








さて、やっと登ってきて、寺に到着。その青年ともそこで別れた。
寺の名前は『無為寺』。なんつー名前だ。電気も通ってない。明るくなったら起きて、暗くなったら寝る。食事は肉を一切食べない。朝はランニング。シャワーはあるにはあるけど冷水。すごく静かな環境。早朝と夜にはお経を唱えるお勤めがある。18歳のときに熊本の山寺で一週間こもって修行したことがあるけど、電気とシャワーがないぶんこっちのほうが修行っぽかった。熊本のときはふつうにラーメンとかカレーとか食ってたしね。そして修行自体はかなり良いものになった。ここでカンフーの修行をしている少年たちに教えてもらう。午前と午後の練習。ストレッチを重点的に。修行が終わった今、できなかったヤンキー座りもできるようになった。






俺の先生の名前はスイゴウタン。15歳の少年。このスイと長く一緒にいた。ふざけてたら思いっきり殴られたり、スイもスイでふざけるやつだから一緒にふざけあったり。中国語と日本語だけどコミニケーションはとれる。てかこのかんけっこう中国語覚えた。スイと楽しく楽しく。








やっぱりその中でも気になるのが、はじめにあった青年。反日とかってどうすればいいのか実際わからない。ああいうときどういう反応をするべきなのか、そして何も言えなかったなかった自分。それでもなんとかしなきゃなんないから、青年ともう一度話してみたいと思って俺の師匠のスイに青年の名前を聞いた。そしたら、スイは言った。スイは中国語しかできないけど、聞き取れたのが、









「彼の名前はわかんない。彼は日本人が嫌いだよ。(鉄砲を撃つしぐさをして=戦争のことだと思う)。気をつけて。でも僕とお前は友達!」








それから握手をしてスイは仲間のもとへ走っていった。どかんときたわー。いっきに気持ちがすうっとした。そして反日っていったいなんなんだろうと思う。








実際カンフーの練習中もスイをはじめ少年たちに俺は「小日本(シャオリーベン)」って呼ばれてた。よくわからなけど日本を馬鹿にした言葉らしい。めっちゃ小さい子供にも言われるからね。小さい子供にも戦争のことつっこまれる。どんなもんかと思うわ。はじめに出会ったその青年とははじめのうちはきまずかったけど、話すにつれて仲良くなっていった。世間話もするけど、圧倒的に戦争の話が多かった。でも俺にはこうしてスイという朋友もできて、楽しくカンフーを覚えることもできた。肉なしの食事もめっちゃうまかったし、シャワーだって6日もあびれなかったけどみんなぜんぜんくさいなんて気にしない。景色がめっちゃきれいだし空気もきれい。健康的な生活。旅でつまったモヤモヤした気持ちもすっきりした。でもやっぱ複雑なところはだ。青年も複雑だろう。








うっさいうっさい。俺はカンフーの修行をしにきた。その反日の青年のことはきっと忘れないと思う。青年が日々唱えていたお経の音も忘れない。そしていろいろ考える。けどスイのことはもっと忘れない。スイからカンフーやいろんなことを学んだ日々。




とりあえず、少林カンフーものにしたから、ケンカとかあるときよんでください。『無為寺』。為になったかならないのか。じゃす!

2008年10月2日木曜日

中国・大理 おさんぽ


きょうもゆったりチベタンカフェでYungnan coffeeのみながらネット。

さぁて、どうするかな、さんぽでもするか。








ノーノー!

このままじゃダメ。

からだがもとめてるもの。

おとといであったぼうけんか あんどうさんからおしえてもらったじょうほう。

このちかくのやまをのぼると ショウリンジのてらがあるらしい。

おーけーおーけー。

あしたからショウリンジのてらにこもってしゅぎょうだ。

ショウリンジのカタのひとつでもおぼえてきます。

せいやー!