2009年7月31日金曜日

タイ・バンコク 2005年ミスター沖縄


はいさい2005年ミスター沖縄に選ばれたゆうちゃんぐーすです。先日のディッキーの早とちり日記ごめんなさい。今度こそいよいよです。本日沖縄行きのトケットが取れました。いやぁよかった。バンコクはそわそわしてしょーがない。欲望シット!








というわけで明日31日にバンコクを発ちます。インドから来て物価の高さに驚いて、メシのうまさに感激して、カオマンガイばっか食って、たまにバンコクに旅行にきているインド人をみかけて、そいつらが立ちんぼのレディボーイにみとれてるとこみながら、疲れたけどなんだかんだでインドって楽しかったなぁとそんな刹那な気持ちになっていました最近のバンコク。いよいよ東南エイジアともお別れです。








つーかんじで予定!



31日バンコク→台北ストップしてオーバー


2日台北→那覇(到着は18時)


お盆前には帰りたいので11日あたりを目安に東京に帰りたいと思っています。








ちなみに沖縄での予定は


神様の島久高島へ


チェンマイで会ったおじいさんの家を訪ねに名護へ


ってかんじです。沖縄の友達たち遊びましょうね。








そうそう、なぜ沖縄にいくかって。2005年に沖縄のゲストハウスで働いてたことがあるんだけど、そこに集まってくる人たちがさ、世界を旅して最後に沖縄にきてる人が多くて。ゲストハウスにいる間はその人たちから世界の話をずっと聞いてた。そこでバックパッカーっていう言葉も始めて知ったし、それまでは日本が楽しくて旅してたけど、だんだんと世界に目が行くようになった。でもなんで世界を周ってた人たちがなんで最後に沖縄来るのかなって思って聞いたら、みんな「沖縄で慣らして社会に帰る」とか言ってた。うわー、こいつらマジかっこつけーっと鳥肌立つわー、しかも今思えば沖縄馬鹿にすんじゃねーって感じだけど、なんだかんだそっくりそのまま同じことやってやろうと思いたちました。沖縄に戻ります。あのころのオレへ。じゃす!

2009年7月27日月曜日

インド・コルカタ 最後のコルカタ


ブッタガヤから戻ってきた。いや、すべてのインドから戻ってきたというべきか、やっぱりこの土地が時分に撮ってのターニングポイントになっているのかな。そういう感覚が自分の中にずっしりとある。まだここにいたいという気持ちと早く日本に帰ってやりたいことをやりたいという気持ちがジレンマを起こす。旅は旅、生活は生活と思えど、これだけ長い旅をすると旅がとっくに生活になるし、これが現実になっている。それでもやっぱり時間や金は限られている者だし、自分がこの旅で掲げていた目的も達成できたから帰るべきだ。そう思って飛行機のチケットをとって、のこり3日のコルカタを過ごした。


マザーテレサから学んだこと、ここで出会った志から学んだこと、そしてこの土地から学んだことは多い。これから始まる日本での生活へ向かうオレの血と肉となった経験、そしてこれは糧となった。シスタークリスティーからもらったマザーのメダル。ありがとうございました。そしてインドよ、ありがとう。楽しかった。意志だ!じゃす!


2009年7月24日金曜日

インド・ブッタガヤ 日食



ブッタガヤ日食。ブッタガヤにいた旅行者たちはみんなバラナシへ日食みにいったけど、オレはなんだかブッタガヤに引きつけられた。人が多すぎるバラナシ、日食パーティみたいのは今回はいいかなって。それよりひとりで日食中に瞑想したいねん。








日食前日の風邪をなんとか治し、朝方にGHの屋上にて一人で太陽を迎える。屋上からみえる現地の人はあまり日食をしらないみたい。地面に座って月を待つ。朝に太陽の光がだんだんと明るくなっていき、静かになっていきなり暗くなる。そして夜になった。神秘的だ。なにか朝があって夜がくるのがあたりまえのように日食が進む。夜になったのは少しの時間だけだけど、その昼の夜に犬がワンワンと泣き止まず、やっぱりそこは不思議な現象だってことを教えてくれた。なんていう素敵な光景だろう。日食すごいな。



それからは日本寺とビルマ寺にて瞑想の日々。夜は菩提樹の前にてお坊さん達と共に瞑想。日本寺に瞑想にいったときに幼稚園かなんかの子供達がたくさんにいてなんか笑っちゃった。そうやって和みつつも、ひとり西遊記の一番深い所についたんだ。その気持ちを満喫しながら旅を想い、人生を想う。尊い時間を過ごす。精神的にいったらここが一番日本を出発した場所から遠い場所だ。しかし戻ってきたというかなんていうか。ここまできたんだなと想えること、旅に出てほんとによかったなと感慨深い。ほんとにいい旅だった。ありがとう。





ありがとう、旅のすべて。今までも一生懸命だし、これからも一生懸命だと思う。そうやって頑張って行こうと思う。と最後は鬼太郎コス。ブッタが悟りをひらいた菩提樹の前にて。さてこれから帰ります。じゃす!


2009年7月20日月曜日

インド・コルカタ 再びマザーハウスへ


コルカタに戻ってきた。懐かしいこのかんじ。インドで一番好きな場所はここかもしれないな。街中が好奇心でいっぱいだし、おもしろい人々。人なつっこいしね。やらしい話、物価も安いし。カレーとライスで10ルピーあれば食べれる。ラッシーもおいしい。そしてなによりここには志が集まっている。



マザーハウスへボランティアの登録へ行った。夏休みにシーズンなのでボランティアが溢れたいたにも関わらず、シスターマーガレットがオレのことを覚えていてくれて、今回も運良くカーリーガートで働くことができた。もちろんだけどサダルストリートに住む旅行者の顔ぶれも違ってまた新鮮だ。でもやっぱりサダルに住むインド人の顔ぶれは変わってなくて、その中にはオレを覚えてくれている人もいてとてもうれしかった。「ういーっす!」ってまた再会だ。








カーリーガート。ここの顔ぶれも変わっていた。やっぱりここは「死を待つ人の家」である。がらりと入院している患者さんの顔がかわり。ボランティアが変わり、施設の雰囲気も変わっていた。やはり人で変わる。人と人の対峙する職場だから、「人」が重要なんだ。そんな中でおじいさんたちと関わって行く。3月にも居たおじいさんも何人かいて、久しぶりーなんていうのがうれしいよね。オレもひさしぶりーだ。そしてやっぱりうれしいよね、この気持ちは。そりゃ一生懸命働きますよ。








今回はカーリーガートと共にダイヤダンというマザーハウスの中の子供の施設にもお手伝いにいった。そこで毎週行なわれる無料診療所にてお手伝い。ここでは近隣から来るケガ人などを手当する場所。人手がたらなくて見様見まね、周りの人に教えてもらいながらなんとかやていた。朝は行列ができていて、私が私が状態のときもあったけど、だんだんと落ち着いて、それぞれ内服の薬をもらったり、ケガの手当をしたりとしていった。その中になんとカーリーガートに入院していた人がいて、「おー!きみー!」みたいなかんじで絡んできてくれてうれしかった。3月にカーリーガートで介護していて、オレがネパールなんかを旅しているうちに退院して今はきっと路上生活に戻ったんだろう。ここで会えるとは。すっごい確率だ。うれしさも倍増だ。そんなかんじであくせくしながらやっていた。診療が終わった時にはどっと疲れが出た。こんなに疲れるんだね。すごいよお医者さん。









今回もまた経験になる滞在だった。ここに集まる志と思いと一緒に行動して経験値をあげさせたもらった。ブッタガヤで日食みたらまた戻ってくるわ!じゃす!

2009年7月13日月曜日

インド・ブッタガヤ 現在の三蔵法師ゆうちゃんぐーす



インドの思いっきり北のダラムサラから一気にデラドゥーン。列車に乗り換えこれまた一気にブッタガヤ。そうなんです。ついにブッタガヤに着きました。このブログ、ひとり西遊記の西遊記の部分。そう、インド天竺にて三蔵法師が追い求めていたもの。それはブッタの心。ブッタがルンビニを駆け出してここまでたどり着いて長い時間をかけて真理に気づいた。この場所で。そんな素敵な場所へ現代の三蔵法師ゆうちゃんぐーすもたどり着いた!!








ここブッタガヤにはルンビニのようにある各国の寺にお参りしつつ、ブッタが苦行していた場所に行ってみたりもした。ここで何年も断食した末にそんな苦行はムダだって気づいたんだって。それから中へ中へ入って行ったんだ。そんな気持ちを味わいたくてそのブッタが苦行しながら瞑想してた場所に実際に座ってみたりした。ブッタは何を考えていたんだろう。人として幸せに生きるための世界。想像してみよう。その世界を。




ほんといろんなことがあったよ。それはここには書かない。なぜならこのブログに書いてるからぜひ読んでみてね。とかいいつつほんと想い出にひたちゃってたよ。夜は決まってブッタが悟りを開いた場所にある菩提樹の前にて瞑想。こんなに気持ちいい瞑想があるんだね。最高!生きてるって最高!!こうやって書くと恥ずかしいことを、実際に思えるってすっごいよね。旅はほんと力をくれたよ。オレに世界を与えてくれた。なんて素晴しいんだろう。ブッタが気づいたときの気持ちに少しは近づけたのかななんて思うなんて傲慢だけど、やっぱりそんなことを思いつつ、清々しい風の中でたたずんでた。世界と一体化してる。最高の旅だな。これは。


ここで終わると思いつつ、このあたりでエクリプス、つまり日食が観れるらしい。こんな機会ないから観てみようとおもう。ブッタガヤの現地の人に聞いても全然日食のこと知らないご様子。どうなんかな。まあ時間も少しあることだし、これからコルカタに戻ってもう1度マザーハウスで働こうと思う。これが呼ばれてたってことだな。いろんなことの確認のために。よし。いくぞ。じゃす!



2009年7月7日火曜日

インド・ダラムサラ 亡命政府で鬼太郎コス!

ダラムサラ。ここはラサからきたチベット亡命政府が置かれる街。レーでダライラマ14世の誕生日を聞いて間に合わすべく移動を急ぐ。レーを下り、マナリーを下ってダラムサラへ。すっごい頑張って誕生日の夕方にはダラムサラに到着することができた。けど!ダライラマ14世の誕生日イベントには間に合わなかった〜。残念。けどまあ誕生日には間に合ったからお寺に向かって誕生日おめでとう言いに行きました。



もう一つ残念なことが、ダライラマ本人がダラムサラにはいなかったこと。まあ忙しいからあたりまえか。でも誕生日くらいねぇ。まあいいっす!今回はピースを!今回はダライラマがどうだ、共産党がどうだなんて言及も致しません!とにかく笑いとピースを!チベット亡命政府のダラムサラにて鬼太郎コス!これは史上初でしょ!?しょこたんもびっくりよ!協力してくれたみなさんありがとうございました。鬼太郎コスが平和の象徴になりますように。水木しげるにあいたいわー!!関係者さんいましたらぜひ会わせてください!じゃす!!







2009年7月6日月曜日

インド・マナリー 「記念日」という言葉




ちょっとまったく旅とは関係ないことなんだけど、インドのチベットラダックからマナリへ下る20時間のバスの中でふとおもいだしたことがある。突拍子もな いことであり、他人からしてみればどうでもいいことかもしれないので聞き流してくれてもかまわない。これから話すことはただのやさぐれごとだ。








オレは「記念日」っていう言葉が嫌いである。こう書くと偏見が生じるかもしれないが、世の中の女たちはこの「記念日」という言葉をよく使いたが る。それは一種の暗号化しキネンビキネンビとその気持ちのよくない音を特定の女たちは撒き散らすことに快感を覚えている。きっとこれは元カノの影響だろ う。前に付き合っていた彼女がこの「キネンビ」という音をよく発していた。友達の紹介で付き合った彼女なのだが、顔もしぐさもかわいく、その子は女の子ら しい女の子だった。その子と付き合いはじめて一週間たった日にその日が「付き合って一週間キネンビ」になった。まあ付き合ったばかりだし、若干鼻についた ものの、こういうのもかわいいんじゃないかと思うようにしてオレはその場をしのいだ。しかしその次の日がまさに「付き合って1週間と1日キネンビ」になっ た瞬間に大きな不安が。もしかしたらこの子はイタイ子じゃないか?という疑問が生じてきた。そしてその「付き合って1週間と1日キネンビ」の夜に一緒に ラーメンを食べに行った後にその子はその日をいきなり「ラーメンキネンビ」に変えた。おまえは俵万智か!?「サラダ記念日」を読みすぎた結果そうなったの か、その後もなにかにつけて「足の小指蚊に指されて超かゆいキネンビ」や「ゆうちゃんのまゆ毛の中にホクロ発見キネンビ」などともういちいちツッコミいれ なきゃいけないし、その前にぞわっと鳥肌たっちゃうイタイ子だったので1ヶ月もたたないうちにわかれてしまった。この間でオレは何回もの「キネンビ」を聞 いた。キネンビキネンビ。あの子の「キネンビ」の嫌な音が頭から離れない。だからオレは「キネンビ」という言葉が大嫌いなんである。








っていうかんじで昨日2009年7月4日で、
「日本を旅立ってからちょうど1年記念日」をむかえましたー
わーい(嬉しい顔)
いぇーい、ぴーすぴーす
手(チョキ)
ぱちぱちぱちぱち
チャペル








もう1年っすよー。早いもんでねー、実際はめっちゃ長かったね。もう日本から1番遠い場所ラダックまでいったんで後は帰り道にちょとちょとっと寄 るだけです。もう少しですねー。ディッキーが作ってくれたオレのブログの右の真ん中らへんにタイムカウンターがあるんだけど、それも365日を超えまし た。いやぁめでたい!めでたい記念日だ!ありがとうございます!








つーかんじで今回は動画!!たぶん動画アップは旅中ではラストです。ぜひコメントください!


「Hoop in Tibet!!!!!」
http://u-changoose.blogspot.com/2009/07/hoop-in-tibet.html









冒頭の話全部ウソだ!むしろそういう子好きだね!俵万智があと20歳若かったら告ってるわ!ってかそんなことよりおめでとうオレ!そして明日はダライラマの誕生日。ダラムサラに行って突撃でダライラマに「誕生日おめでとう」行ってきます。じゃす!


2009年7月4日土曜日

インド・ラダック ヘミスゴンパのツェチュ祭


ほんとに運がよくってラダック滞在中にラダック1のお祭りに会うことができた。ヘミスゴンパのツェチュ祭。チベット仏教のお祭りで仮面の名目。こういうお祭りに運良くぶちあたる機会が多い。お祭りを狙って行ったお祭りか、たまたま出会ったお祭りかだったらどっちかっていうと後者のほうがなんだかわくわくするのは自分だけかな。おっしゃ。








レーから朝方出発してヘミスゴンパへバスで向かう。ツアー用のジープで向かう外国人旅行者たちに抜かされる地元のぼろいゆっくりバスに申し訳ながらお邪魔させたもらう。地元の人々の信仰。道ゆくときいくら小さいゴンパに出会ってもバスの中ではほとんどの人がそっちを向いて祈りを捧げる。手持ちマニ車を回すおじいちゃん。これがこの人たちの輪廻。回すに回すだけ幸せになるんだ。ぐるぐる回し続ける。こうやって仏教がこの地に渡ってきて密教へと進化していき考え方が根付いたときからずっと回してるんだ。ぐるぐるに。




そんなこんなでのテェチュ祭。朝も早くからチベタンのひとたちともに演舞が行なわれるその周りの席で並ぶ。寒くってぶるぶる震えながら買ってきたお菓子なんかを周りのみんなと食べ場ら待つ。雪なんかも降ってきちゃったりしてもそれはそれは楽しい時間だった。








いよいよ演舞が始まる。太鼓の音が響き、辺りがざわざわする。チベタンのみんなは1年待っていた祭り。鼓動が早まる。仮面をかぶったお坊さん達が登場してくる。これがテェチュ祭。これがチベタンのお祭りか。そう、いよいよ始まったと思ったら一緒に並んだチベタンの人たちの横からカメラマンたちが10人くらい飛び出してきて演舞を行なうために囲った柵の中に入って演舞を接写し始める。朝から並んでいたここの席からはもう動くこともできないし、カメラマンに塞がれて演舞を観ることすらできない。なんていうことなんだろう。オレはともかくとしてチベタンのひとたちはその信仰心とともに1年待ったお祭りだ。それをカメラに撮影するという理由で前に出てきちゃっていいものなのか。もう最低だ。一人が飛び出すと、オレも私もとどんどん飛び出す。マナーなんて関係なくなる。その後ろではっきりと文句をいえないチベタンの人たちの悲しい顔。旅行者の一人としてとてももし仕分けない気持ちになった。





しかもこれを調べてみるとこの光景は毎回のことらしい。旅行者達が信仰の前を陣取る。横取りする。チベタンの人たちはあまり文句はいわないがからいいじゃないか?絶対そんなことない。彼らがどれだけ傷ついてることか。そのカメラで何をとりたいのか?信仰を邪魔してまでもそれを撮りたい理由がどこにあるんだろう。ほんと嫌な気持ちになった。ここはテーマパークじゃないっつーの。柵の前に平気で座ってくるし、見えないからどいてくれって言ったら50センチ横にずれる。それじゃオレの隣の人が見えなくなるだけで全然解決できていない。さすがに怒って「あなたはただの旅行者だ!彼らはこの宗教だ!」って言ったら舌打ちしていった。もう最悪だ。





なんだか寂しいよね。彼らが高々と「フリーチベット」って叫ぶんでしょ。もうなにがなんだかわからない。その中でもやっぱりわかる人たちは彼らに忠告する。祭りの終わりのころになってそのマナーが守られたり、でも結局守られなかったらりして、大変だった。なんか嫌だったな。この力の構造。せっかくいいお祭りなのに。これじゃ略奪じゃんか。楽しいはずのお祭りなのに、これじゃあ最悪だ。これからはそういうことがなくなることを強く望む。

2009年7月3日金曜日

インド・レー 〔動画〕Hoop in Tibet!!!!

インドの中のチベット・ラダック。共産党支配下にあるチベットとは別のチベットがここにあった。標高3500mのこの場所で高山病になりながら、レーという町を見下ろすTSUMO GOMの前にて。