2009年6月28日日曜日

インド・レー やっとチベットだ!



レー。インドの中のチベット。中国旅中にシャングリラまでいったんだけど、オリンピックの影響で先に進めなかったチベットの中核。シャングリラでリベンジを誓ったあの日から約半年。やっと念願のチベットに入れた。っていうかマジできつかったー。そうそう、高山病。マナリーからバスでレーまで約20時間。まるで月の地面を走行するかのような錯覚に陥る最高な感覚を味わいつつ、その道のりそんな最高な感覚にはやっぱりリスクがつきものなんです。高山病ねぇ。道すがら5000メートル級の山を2回超える。5000って!富士山よりさらにもっと高い。ネパールにてそんな高い山を経験しなかったから不安だったけど、まさかの的中で高山病の初期症状に陥った。念のためにマナリーで買っといた高山病薬ダイアモックスはその山に登るまえに飲まなきゃ行けないらしく撃沈。あたまいてーは息できなーわが辛い!この先どのくらい我慢したら着くんだろうという気持ちがあせる。だって崖崩れとかなんやらで通行止めで1時間くらい止められるとこたくさんあんだもん。まじであたまいてーよー。





でもリスクを超えるとやっぱりブレジャーがある。梅雨を終えると夏があるように、高山病を超えたらそこにはチベットがあった。標高が高いから青空の青が栄える。そしてチベット文化。ストゥーパやゴンパ。顔も僕らに似ているし。なによりなんだか気持ちがいいんだ。「生きてる」を感じる。なんで?いるだけで気持ちがいい。たまたま入ったGHの調子もよくて、なんて過ごしやすいんだろう。




仲間を連れて月の表面が顕著に表れるラマユルゴンパ。アルチゴンパ。などなど。レーから広がる周り集落へ探索。そこで観れるチベットのお坊さんの笑顔。青い空。これがチベット。ほんと気持ちがいい。標高が高いこういうところを地上の人から観たら「天国」っていったのかな。もしかしたらね。中国やネパール、モンゴルなどいろんな場所で接して憧れたチベットにやっと会えた。人もあったかいし、いいとこだ。でもやっぱりチベタンのおばちゃんたちはたくましい。チャイ、これコルカタだったら3ルピーで飲める。まあいくら外国人ぼったくり価格だとしても10ルピー。それを100ルピーで売ってきた某なんとかの歩き方の載ってたGHにはびっくり。このGHには泊まらなかったけどね。ここがインドで一番のぼったくりをみれました。じゃす!



       月の表面ラマユルゴンパにて鬼太郎コス!








2009年6月23日火曜日

インド・マナリー 今後の予定と観えてきた旅の終わり



だいぶインドの北の方まで一気に駆け上がってきて、今はマナリーというところにいます。ヴァラナシがクソ暑すぎてもうぐらんぐらんに。42度だよ!死人も たまにでちゃうくらい暑い。そんなヴァラナシでガンガーみながらセンチメンタルに終わる旅もいいかなっておもったんだけど、別にオレはそんなかっこいいの 似合わないし、やっぱりもっと興奮して終わりたいってのが本心。インドのチベット、ラダックを観て「まだ旅つづけたいよー!」って悔しみながら終えたい。 そんだけのちょっと残った金とちょっと残った時間がいとおしい。ってかんじで明日はラダックへ。








ってマナリー、ギザさむす!ヴァラナシでは日本人とかコリアン多すぎてかんじなかったけど、ここにはまったくいないっす!これが寒さと相まって尋常じゃないくらいの孤独感に襲われる。わぁお!ミクシイ楽しい。ダメだねー世俗。








そんなこんなこの後の予定は







明日ラダックへ向かい


10日ほどの滞在の後、デリーに行くのがイヤなので、デラドゥーンへバスで下がり、


一気にブッタガヤ。これがひとり西遊記の最終目的地点。ブッタが悟りを開いた場所。


そしてコルカタからバンコク。


バンコクから台北経由して那覇へ。


そして那覇から羽田。


そして東京都外東京区だいたい厚木市に帰ります。








ラダックとブッタガヤ以外は超移動!


那覇についてから羽田行きのチケット取るんでわかりませんが、羽田着くのを7月10~15日を目指します。








もう1年たつのかー。めっちゃ早いようで短い1年だったとかまだ感想言うにはそれが早い。ここからラダックにいくのに5000メートル以上の山を 2回越えるんだって。高山病こわし!ただし、景色は絶景なり!気合入れていってきます。あー日本帰ったらなにしよう。とりあえずベタだけどシースーだ。回 転寿司か小僧寿司しかいったことないからカウンターの寿司やさんに行こう。そして軽音のお父さん、かっちゃんに連れて行ってもらうんだ。こんなにがんばっ たんだもん、きっとつれてってくれるさ。あと海原雄山のいるような料亭に行きたい。日本が観えてきた。さてと旅の終わりを!じゃす!


インド・マナリー 裕福層の避暑地



センチメンタルな気持ちから逃げるためにサウナ状態のバラナシを去る。バラナシからブッタガヤ行ってコルカタでマザーハウス寄ってタイ、台湾、沖縄といくのがまあ近道だけど、バラナシのセンチメンタルな世界観と暑さで参っちゃった心と体。「旅ってたいへんだ〜」ってブツブツとつぶやいちゃうようなギリギリの状態で旅を終わらせたくない気持ち。「旅終わりたくねー!!」って気持ちを引きずったまま旅を終わらせたいという、その大切な気持ちになるべく方向転換。行きたいけど、行けるかな、と迷っていたレー、ラダックへ行くための通過点。まずはデリーの北にあるマナリーへいく。つまりはシャングリラでのリベンジチベットを決行。



このレーにいくにはデリーから飛行機か、もしくは雪が解ける夏期のみ通行が可能になるマナリーからのジープの崖道。飛行機は高いけど楽、ジープは高山病で大変だけど景色がきれい。迷う間もなくワクワクするほうを選ぶんだ。ジープ!おっしゃ!ということでバラナシからまずはデラドゥーンまでの列車。インド列車童貞を破る。デラドゥーンからシムラ経由してマナリーまで。いざヒマーチャルへ!3日かけての過酷な移動。ちゃいちゃいちゃい!








マナリー。そしてニューマナリー。ここはインドの暑っい地方から避暑してくる金持ちインド人が集まってくる街。もうめっちゃいる!そして物価も高い!肌寒いその土地でソフトクリームなんかをべちゃくちゃ食ってる子供をみてたら貧乏旅行のオレはよだれをたらしちゃう。そだれをたらしているオレの後ろにはラジャスターンから出稼に来ているというテント生活している女の子たちもよだれをたらしている。めっちゃ金持ちとめっちゃ貧乏な人が集まってきてマナリーの人口を超えちゃうなんて変な街だ。








ここで山奥へと入って行ったり、空気がうまし。大好きなカシューナッツが安く売ってるからめっちゃ食ってたよ。あとチベット料理のトゥクパね。ベジトゥクパめっちゃうます。とみせつつ初めてのタンドリーチキン。これもうまいね。やっぱりおいしいもの食べて良い所に住みたいね。裕福より幸福になりたい。




昼の太陽を満喫して夜のマナリーはどっから現れたのかわからないけど、人が昼以上に増える。なんでやねん。夜の街だったんだね、ここは。おもしろいなー。変な街だよ。

2009年6月15日月曜日

インド・バラナシ ガンジス河でバタフライナイフ


ルンビニから一気にバラナシ。この国境越えルートはけっこう悪い目にあうって聞いてた。多少のぼったくりともっとぼったくろうとする男達へのいらだちだけでよかったわ。そんなイラダチを抱えつつバラナシへ到着。バラナシはほんとよく旅行者が被害にあう事件が多いって聞いてたけど、夜到着したのも関わらずすごく親切でノーぼったくりなおじさんが宿近くまで連れて行ってくれた。ガンガー(ガンジス河)沿いのガートにある宿へ。








ここはヒンドゥーの聖地バラナシ。インド中からここ聖地に巡礼にきていて1年を通して人でごった返している。オレがいる時も人!人!人!超人!!しかも暑っつい!!マジあっつい!はんぱねぇ。外に出る気力も奪われるこの酷暑。でも宿にいたってもったいない!てか宿だって暑いから意味ナッシング!だからお出かけしましょう、そうしましょうWalking。








ガート沿いに迷い込む。歩くとすぐに「写真買わないか?」とか「お茶飲みたくないか?」とか誘ってくる。うぜーと思ってたけど、話してみるとけっこうおもしろかったりして、友達になる。次からガート沿いであったりなんかすると、「ういーっす」みたいなノリになる。そいつが新しい日本人捕まえて客引きしてるときにも顔みたら「ういーっす」って。ここにいる少年客引きたちは友達は友達っていう感覚を持っていてすごく気持ちがいい。そのかわり友達以外のやつにはとってもしつこいけど。そんなかんじでガート沿いにいっぱいの友達といつまで眺めててもあきないこの景色をゆったりと眺めていた。



火葬場ってのにもすれ違った。ネパールでは何回かみたけど、バラナシのはやっぱり聖地とだけあってシステムも客引きも徹底してた。大規模だしね。ゴウゴウと煙が上がってる景色の後ろにはこの火葬場についておしえてくれる少年達がいて、ヒンドゥー教の歴史から死生観まで教えてくれる。ここでは寄付してくれるって言われるんだけど、それはおそらくここの少年達のポケットマネーになるわけなんだけど、はっきり言ってかなり深い知識を与えてくださる。質問にも丁寧に答えてくれるし、わからないところはサドゥーにも聞いてくれる。逆にの視点からみれば急に来てべちゃくちゃしゃべってお金要求するというただのぼったくりだけど、オレはすごく勉強になったし、いままでわかんなくてネットとかでも調べられなかったところも聞いたら教えてくれたので、自分で決めたお金を寄付した。この少年はすごい知識量だ。敬うわ。





ほんとここは神秘的な気分になる。毎朝早起きして屋上でガンガー眺めながら瞑想にふける。朝そして夜へ。赤子そして老人へ。死そして生へ。輪廻を感じる。ぐるぐる廻ってる。この感覚を味わいながらフーハー。この朝が一番すきだったな。ヒンドゥー教の死生観。輪廻がある。老人は生まれてきた赤ちゃんを喜び、赤ちゃんは死にゆく老人の来世を喜ぶ。火葬している周りではいつだって笑顔がたえない。日本だったら不謹慎。死をどうとらえるかでその人の死が変わってくる。それを学んで人生をどうとらえるかでその人の人生がかわってくるんだ。Time is Life. Life is buatifle.








そんなかんじで朝は瞑想、午前はバラナシのマザーハウスで働き、午後はタブラー(太鼓)やバイスリ(横笛)を習いにいく。夜は宿でバラナシにとにかく多い韓国人たちと話す。なんだか充実してらっしゃる。あっつい中こんな充実した暮らしを支えてくれたのはこれ。ラッシー!!ギザうまし!じゃす!




2009年6月4日木曜日

ネパール・ルンビニ ブッタの生まれた場所




ルンビニ。仏教の開祖、ブッタことゴータマシッタルダが生まれたところ。肌寒かったネパールの山かた下ってその場所は現インドとの国境付近。この時期インドは酷暑期という1年で最も暑い季節を迎えている。そんなかんじでバスにゆられてルンビニを目指す。日本人に似た顔も目立つネパールの中央に比べて、南に行くにつれてだんだんとインド人の濃い顔が目立ってきた。懐かしいこのかんじ。








そしてもうねこれね、はっきり言ってめっちゃ暑かった!!なにこの暑さ。サウナじゃん。一緒にここまで来た女の子も暑くて参っちゃってたし、何よりオレが参ってた!はんぱねー暑い。汗が岩盤浴やってるときみたいに滝の様に流れる。GHで寝る時もやばかったよ。部屋が暑すぎて寝れないの。だから部屋ん中にばしゃんと水撒いて少しでも冷やす。15分くらいは少し涼しいけど、水なんてすぐ乾いちゃう。こんな寝苦しい夜は限度を超えてた。ギッリギリだったわ〜。でもここはひとり西遊記には欠かせないルンビニ。気合いを入れ直してルンビニ公園の各国の寺院を巡る。そしてお参り。









ここには仏教に通じている各国のお寺が立てられていて、そこでお坊さんがお勤めしている。おもしろいのが、いままで周ってきた国がだいたい仏教国だったから、そして寺院を見つけては欠かさず見学にいっていたから、なんか最後にこうしてみると各仏教国でもその国によって建築だったり、様式だったり、文化だったりが様々なのがここでまた復習できた。この旅の想い出めぐり。こうやって三蔵法師も想い出インマイヘッドしてたんでしょう。感慨深いわー。中国は赤くて豪華だし、東南アジアはギザギザ、ミャンマーは金色。おもしろいね〜。そしてミャンマー寺ではVIPASSANA瞑想をやらせてくれたので熱気の中で瞑想してきた。マジあっちー!!これじゃあつすぎてVIPASSANAにならないわ!




一通りお参りを終えて、最後はブッタが生まれてお母さんが入水させた場所に行った。そこには花を売る女の子が座ってた。その子がカメラ貸してくれっていうから貸してあげて2人でカメラの撮り合いっこして遊ぶことになった。女の子が「ブッタ」って言うからブッタのマネしたり。「イー」ってやって顔をイーにしてもらったり。なんか不思議な時間だった。この女の子もきっとブッタの国の人の子孫なんだとうと思うと更になにか不思議な気持ちになった。ここは多くの人を救ったブッタが生まれたところ。そういうところだ。



ほんと暑かったこのルンビニ、ブッタが誕生したこの土地を超えて次はインドだ。酷暑のインド。酷暑のバラナシへ。次はヒンドゥーの聖地へ行く。いったい次はなにが待ってるんだろう。楽しみだ。わくわくが止まらない。じゃす!