2009年5月31日日曜日

ネパール・ポカラ ポカラ素敵ライフ



ポカラ。ここはヒマラヤトレッキングの麓。湖の周りを街が囲む素敵ライフ。前の記事でカトマンズがオアシスだった書いたけど、こっちもオアシス度がギザ高し!なんたって湖があるからね。そう、ここポカラはカトマンと違ってゴミゴミしてなくてめっちゃリラグゼイション。空気も澄んでるし気持ちがゆるーくなる。朝くわーって起きて、同じ宿に泊まってる友達とベーカリーで出向く。あたりはまだ暗い。その中で「寒いね」なんていいながら、焼きたてのチョコクロワッサンにコーヒーをすすっているうちに遠くアンナプルナ山脈から太陽の光がちらっとでてくるのを眺めて「綺麗だね」って。そんな毎朝を過ごす素敵ライフ。ポカラ素敵ライフ。






ほんとはがっつり2週間くらいトレッキングに行きたかったんだけど、ビザが切れそうでさ。ったくこのビザってやつは毎回空気を読まない。まあそれはこれから行くインドにもっと面白いことがあるから急いどけって意味なんだけどね。そうそう、だから今回は日本人妙法寺という寺のある山へと日帰り登山をしてきた。前にここへ登った女の子2人が2時間かけて登ったって?うむ、女の足で2時間。だっからオレの足で4時間だって冗談も、それがこんなに頑張ったのにほんとになっちゃって。でも登山っていいね。頂上ついて、一息、そこから景色を見下ろした時の爽快感。あのときばかりはどっからみてもさわやかボーイ。





山を下りて湖をボートで横断。そのあとにまたまたチョコクロワッサンとコーヒー。ほんとSUTEKILIFEこんな生活。最高やね。同じ宿の人が言っていた。ここではガツガツしてはいけない。空間を楽しまなくっちゃ。時間の流れを楽しまなくっちゃ。生活を楽しまなくっちゃ。じゃす!

2009年5月24日日曜日

ネパール・カトマンズ 旅のオアシス




山沿いの村バンディープールから下山して、首都カトマンズに再び帰ってきた。バンディプールでは宿のおばちゃんにずっとご飯つくってもらってたんだけど、これがめっちゃうまし!そしてつい最近までウルルン滞在してたガンダルバの村ですっかり味を締めてしまったネパール風ワインのロキシー。これ売ってないかこの村を回ったんだけど酒屋がない!でも一般家庭には普通にある!ということで村のおばちゃんに頼んで少し分けてもらった。でもここが問題だった。ロキシー分けてもらう時におばちゃんがその辺に捨ててあったペットボトルを拾ってそん中にどばどばロキシーいれてた。もうびっくりで、宿に戻って3口くらい飲んだら吐き気。そして腹を破壊。こわいもんで食中毒ってやつですね。限りなく透明に近いブルーなうんこを何回もらしたことか。ベットの上でもうどうでもよくなってたからね(笑)。なんか赤ちゃんの気分。そんなフィジカルコンディデョンの中、都会に戻ってきた。








ここカトマンズは日本人旅行者のオアシス。オアシス理由をご紹介。すっごいいやされました。








その1。ジャパニーズレストラン。

3ドルでステーキ定食なるものも食べれるくらい、日本食が安いし、充実している。前にもかいたけど、ここカトマンにある『おふくろの味』っていうジャパニーズレストラン。ここの味はすでにオレのおふくろの味を超えていて、なにか懐かしささえ覚えてしまう。納豆だってある。それに生卵だってかけちゃう。ほうれん草だっておひたしにしちゃう。日本米だってある。そえなのになんでこの安さ?はっきり言って日本で食べるよりおしいいYO!そう、ここカトマンはヒマラヤの麓、トレッキングをする観光客のためにこうしたジャパニーズレストランのニーズがたくさんあるんだろう。日本人が経営してるところだって数個ある。てかカトマンはジャパニーズレストランだけじゃなくてパンとかもうまし、パスタもうまし、カレーもうまし、なんでもうまし。




その2。ネパール人は親切。

ネパールの国柄なのかな。めっちゃやさしいんです。なんかフレンドリーだし、日本人みたいなかんじで気をつかってくれるし。いっぱい友達できたなぁ。それに日本語はなせる人も多いしね。ネパールと日本のアルファベットの発音が同じなんだって。だからけっこうとっつきやすい言語だって言ってた。




その3。ネパール人は日本人に似ている。

その逆でどれだけオレがネパール人に間違えられたことか。チベット系の人もたくさんいるからね。すっごく親近感わく。それにインドから来た人はとくにだと思う。インドの人は顔が濃いから日本人にとってあんまりなじみがないけど、ここでは親近感がわくっていうか、落ち着くんです。





その4。買い物天国。

ヘンプとかの衣類、石とか、めっちゃいいものそろってる!Tシャツもたくさん!アウトドア用品もたくさん!これも日本と比べたら手頃な値段で良いものが買えるからいっぱい買っちゃった。特にアウトドア用品は日本で買うとすっごい高い。パタゴニアとかホグロフスとかさ、それが日本よりは安く買えるんです。ネパール人曰く、ブランドの工場から生地を独自のルートでおろしてきてそれを自分たちの工場で裁縫して完成させるって言ってたけどどうなのか。だから「オリジナルではない」と正直に言ってくれるところがネパール人。でもそんなのどっちでもいいです。ヘンプなどのアパレルだって今の日本の民族屋さんで売ってるものってほとんどネパールから買い付けてきてる。こっちのお店で日本のどこの店におろしてるのか聞くと有名な名前を聞くことができた。くそ高い店だよ!だからおろされる前のにたくさん買っちゃった。バックパックもジャケットも買っちゃった。買い物めっちゃ楽しんだわー。ネパール太鼓や横笛も買ったしね。ヘンプ工場も見つけたなー。楽しいなー。そんなこんなカトマンのどのお店が行ったらチャイだしてくれるとか、細かくショッピングマップ作れるくらい詳しくなってしまった。






そんなかんじのオアシスカトマン。次の休日、原宿渋谷に買い物に行く方は気合いいれてここカトマンズにいってはいかが?おいしいご飯に親切な人たち、そしてよい買い物できますよ。というわけで壊れた内蔵をオアシスカトマンズでゆったりと治しました。めでたしめでたし。じゃす!


   ネパールは寒いからって言ってシンナー吸って体暖めてる少年。

2009年5月19日火曜日

ネパール・バンディプール ツーリストイズム





マノーズの家族と一緒に訪れたバンディプールという山間の村がとてつもなく良いところだったから、マノーズたちガンダルバ、そしてゆうすけくんと別れた後に一人トライアゲインした。バンディプール。ネパール人の間では有名らしいけど、日本人はほとんどこないよというこの村。なんとかの歩き方にも記載されていないこの村はなんといっても山の景色がすばらしい。そしてこれ、運良く最高のGHに泊まることができた。ゲストハウス的なゲストハウス。GHは今では東京にも数多く建ち、それが不動産ビジネスにも発展しているという。しかしそもそもの始まりは、子供が大きくなって家を離れたために、その子供が使っていた空き部屋を貸すため、そこのおばあちゃんが駅などへ行って旅人や商人を連れて帰って安い値段で泊めていたことなんだって。そしてちょうどオレが泊まっていた場所もここの娘さんが昔使っていたという部屋に寝かせてもらっていた。そしてなんとこの娘さんは今は日本に住んでいて、ここのおばちゃんもおじちゃんも日本に旅行にきたことがあるという。さらに大変な親日家。オレはすっかりこの家が気に入ってしまい、ご飯も外では食べずにこの家族と一緒に食べていた。ネパールのい家庭の雰囲気を味あわせてもらった。






この村の夜はすぐに終わる。9時ころから電気がだんだんと消え始め、10時には村は寝静まる。ある夜のこと、オレはこの日なぜか寝れずにいた。マノーズたちガンダルバのことが頭から離れなかった。なんだかんだ言っても楽しい日々だったって、それでいいじゃないかと。そして山が静寂を灯した11時くらい,宿のドアを大きな音でノックする人が現れた。「Can you open the door?」笑いながら叩く音が山に響く。よっぱらっているんだろう外国人の男と女の声。何分かドアをジャンベみたいにリズムよくバンバン叩いた後、おばちゃんがあわてて起きてきてドアを開けたようだ。









そしてこの人たちはちょうどオレの下の部屋。家の中へ入った後、12時を過ぎても大声でまだ話している。うるさいなぁ。オレはイヤホンを付け、音楽を聴いたまま寝てしまおうと思った。しかし、1時を過ぎてもなんだか眠れないでいた。イヤホンをはずす。あれ?まだ下の人たちはなしてるじゃん。あれ?てかおかしいな。なにこの音?。。。。。。はい、この人たちセクロスしてました。もう超大きいんだよこの女の声。せっかくこの村が気分を静かな気持ちにさせてくれていたところなのに。きっと村中ににまる聞こえだよ。そしておまえどんだけI love you連発してんねん。どんだけその「あなた」ってやつのこと好きやねん。オレはとなりで寝ているおばちゃんが心配だよ。と、そう思っているうちにオレは寝てしまっていた。そして午前4時、朝日を観に行くために起きる。あれ?、、、この音?、、、まだつづけてるんですかあなたたち?外ではにわとり鳴いてますよ。1時から4時はこの村では長いよ、迷惑だよ。そしてなんでまだまだI love you連発してんねん。トータル何回言ってんねん?あーあ目覚めの悪い朝。もしかしたらおばちゃん寝れてないんじゃないの?






そのカップルの部屋に次の日泊まったフランス人。この人たちもっと最悪。なにがあったかわからないがお金を払わずに出て行ってしまったらしい。しかもその部屋に飾っておいた絵も同時に消えていたんだって。そしてめちゃめちゃ大音量の低音をスピーカーから流す人。更に村の子供たちに本気でFUCK!と切れて子供を泣かす上半身裸のおっさん。









こんなこと言うと細かい男として嫌われるかもしれない。だけどオレは細かい男だ言わせてもらうよ。やっぱりツーリストとしてどうあるべきか責任を持って行動するべきだと思う。金払ったらなんでもしていいっていうのか違うだろ。旅の場所はテーマパークじゃない、そこに住む人がいるってことを忘れずに。






あえてもっと細かく言えば英語でガンガン話すのもこういう村では少しよろしくないとも思えなくない。まあこういうオレもそうやって全部が全部できてないわけだけど、やっぱりその場所の言葉を覚えると旅がさらに楽しくなるよ。土地へよりはいっていける感覚。だからオレはなるべく言葉を覚えるし、ツーリストとしてお邪魔します、よろしくお願いしますっていう気持ちを忘れないようにしていきたい。






そういえばカオサンも昔は静かなところだったとカオサンで話したおじさんが言っていた。今のカオサンはもういきつくところまでいきついちゃったかんじ。ツーリストのニーズにあわせてここまできたけど、今では完全に方向を見失っている。そこへ民芸品を売りにきた民族のおばちゃんをどなりつけるツーリスト。おばちゃんの鳴らすカエルの楽器がギコギコといまだ耳に残ったままだ。すべてツーリストが作り変えてしまった。






朝日を見終わってすがすがしい気持ちで宿へ戻る。洗面所で歯磨きしている白人の女の子。えっとこの宿に昨日泊まってたのはオレと昨日のセクロスカップルだけ。ってことはこの女の子は。。。ちゅくしょう、めちゃめちゃかわいかったよ(笑)!じゃす!

2009年5月15日金曜日

ネパール・ナヤバスティ ユウキ・ガンダルバ



VIPASSANA瞑想の10日間コースに入る前に同じGHに泊まっていた人とシーメー食いに行ったときにこの話を聞いた。ネパールにはミュージックカースト というカーストが存在している。このカーストの人たちは音楽しかやってはいけない。ネパールのトラディショナルな楽器であるバイオリンに似たサランギーやネ パール太鼓のマダルなどを使って、村から村へと演奏していって、そのお礼として、米や野菜、お金をもらって生活しているという。しかし、今ではテレビやCDと いったものに音の世界を占領されてしまい仕事がなくなってしまったという。なのでその少数は村で作った楽器をカトマンズやポカラなどの観光地の路上で売って生活をしているという。





瞑想から帰ってきた後に、この話を聞かせてくれたゆうすけくんとまた会うことができた。そしてゆうすけくんを通 してカトマンの路上で楽器を売るマノーズと知り合った。ミュージックカーストのマノーズ。このミュージックカーストの人たちの名字はみな『ガンダルバ』という。だからマ ノーズ・ガンダルバ。マノーズも村での仕事がなくて、楽器を売りに街へやってきた人の一人だ。村には家族、1歳の赤ちゃんを残して出稼ぎにきてるという。そしてこのマノーズと仲良くなっていくうちに、オレとゆうすけくんはマノーズの実家のあるミュージックカースト・ガンダルバの村へ滞在 させてもらえることになった。わかりやすくいえば、あれですよ。メガネの友達が行った巨乳専門ピンサロ世界プルルン滞在期的な?いやいや草野さんごめんなさい。 『世界ウルルン滞在期』的なかんじ?はい、ぷぅ~はー。。。。『ゆうちゃんぐーすが行くミュージックカースト、ガンダルバの村~』。







カトマンから バスで3時間ほどゆられ、ついたそこは山の中の中の村。土でできた家に、畑に、にわとり、やぎ、、、。これがネパール田舎かぁ。村の人たちが迎えてくれる。めちゃめちゃた くさんいるなぁ子供。元気だなぁ。ナマステーって大声出して、子供たちと一緒に遊ぶ時間は楽しい。それにつきる。そしてマノーズの家はお母さん(ネパーリで「ア マ」)、奥さんのマンマヤ、1歳6ヶ月の赤ちゃんマンディップ(ネパーリで「バブー」)、現在でも村から村へ演奏にいっているお父さん(ネパーリで「ブ ワ」)も5人。というかもう村中みんな家族みたいなもん。勝手に家ん中はいってくるし。この家族みんなが忙しくて誰も赤ちゃんの面倒みれないときはどこから か誰かがやってきて面倒みている。いい大家族だ。いい村だ。そして初日の夜、村の人たちが小さいフェスティバルを開いてくれた。マダルのリズムにサランギー。女の子たち が踊る。満月に近いその月の下、地元ワインのロキシーと共に楽しい時間を過ごさせてもらった。








そこで生活していく中で1つ問題がでてきた。ここにつれてきてくれたマノーズ がことあるごとに金くれ、何かヘルプくれとあまりにも言ってくることである。はじめにカトマンでマノーズと約束したのは滞在費400Rs(ちなみにカトマンでGHに泊まって普通ツイン150Rs、 メシ代が1日多くて200Rs)とマノーズを村へ連れて行くバス代、初めに村に来たときに開いてくれたフェスティバルのお礼として500Rsを村へ。これ だけ支払うと決めた。しかしことあるごとに金くれといってくる。はじめに村へ着く少し前に近所の人たちにフルーツをおみやげにしたいと言われ、オレ らもお世話になることだからと思い了解した。それがだんだんにエスカレートしていって何か冷たいもの飲みたいとか、アイス食いたいとか、チャー飲みたいとか。たしかに日本 円に換算したら小さい額だろう。それは日本は物価の高い国だから。だけど、オレらも別にありあまるほどたくさん金もってるわけじゃないし、その国の生活を知るた めになるべくその国の価値金額に合わせて旅してきた。そう考えるとやっぱりマノーズの言う金くれは大きいものにになっている。そしてマノーズもマノーズでお金持ってない ようには見えない。いい服を着てるし赤ちゃんも何着も服持ってる。毎夜寝る前に家に問題があるから金をくれといわれ、もう疲れてしまった。マノーズのおじいちゃ んが住む、バンディプールという場所に行ったときもこういうことがあった。おじいちゃんにベジダルバートを食べさせてもらって、その夜に500Rs払ってくれと言ってきた。ベジダル バート、カトマンズのツーリストエリアで食べて75Rsくらい、それはおかしいと思っていったら、じゃあ2人で200Rsでいいよと。なんで値下げされるの?ってことははじめにボってきたってこと?あまりに金くれといってくるものだからそうじゃなかったとしても疑いの目が出てきてしまう。こんなこと 書いていくとキリがない。そしてこう書いてるとどうしてもオレらがケチな人のように思えてくる。そりゃマノーズ、必要なときならもちろんだすよ。村で事故が起こって急にお金が必要に なったとか。そのお金を誰ももってないとか。だけど、変な金を余計にだしすぎても、今後訪れるだろうツーリストのためにもならないし、なによりマノーズのためにも ならない。そう思ったからオレたちは金を出すときと出さないときをはっきり区別しようと決めた。








だけど予想以上にこの壁は高かった。オレらとマノーズの壁はこういうもの。








オレらは無償の関係を求めた。だって友達だもん。
マノーズはできる限りのお金やヘルプを求めた。だって友達だもん。








オレたちはこの壁を崩そうと思ってマノーズとこの件についてよく話しをした。ツーリストといってもみんながみんなお金持ってるわけじゃないし、これは必死でためたお金であって、ムダには使えないもの。残りの旅もあるわけだし。でももし緊急事態が訪れたときにはもちろんお金を出すよ。オレたちができるかぎりだけど。。。といっても説得力がないのはカトマンでのツーリストの生活をマノーズはいつも見ているから。高い服やお土産を買い、おいしいものを食べている人たちが目立つ。だって忙しい仕事の休みで気分転換にきてる人もいるもの。そりゃいいことです。そして貧乏旅行のオレたちも少なからず服やおみやげは買っていたし。そしてマノーズの家の2件向こうの家は前にこの村へ訪れた24歳の日本人の若者が」2000ドルだして建ててくれたコーンクリート建てだった。ほかにも村の人たちに携帯電話を買ってくれたハンガリー人の女性などの話をマノーズはしてくれた。24歳って言ったらオレとタメじゃないですか。その彼はきっとこの家族から村から大きなものをもらったんだろう。実際オレもこの村からたくさんのことを学んだ。でもやっぱり2000ドルは出しすぎにも思える。個人の勝手なんだけど。そしてそれ言ったら話終わりなんだけど。だからこうやって思ってきた。結局オレたちが目指す『無償の関係』なんてものは平和な国の日本人のただのきれいごとなんじゃないかと。








でもやっぱり出す金と出さない金はきちんと考えて区別していこうと決めた。たとえばマノーズの子供マンディップに熱が出たときのこと。マノーズに病院にいこうといわれ一緒についていった。そのときはマノーズ、奥さんマンマヤ、子供マンディップとオレたちとでバンディプールへ観光に来ていたときで、2泊するうちの1泊目の朝だった。マンマヤとマンディップを病院に連れて行った後、2人このバンディプールの山を降りてもらってガンダルバの村へ帰らせるとマノーズは言った。それはオレたちとマノーズは残って観光しようというものだった。俺たちは奥さんマンマヤと熱がでている赤ちゃんマンディップ2人で帰るのは危険だと言い、マノーズ、本当に子供が心配だったら返ったほうがいいし、父親だったら一緒に帰るべき、いや帰る義務があると言ったけど、マノーズはオレはここに残りたいと言った。赤ちゃんの診察が終わり、マノーズが言った。病院代だしてくれって。マノーズだってお金もってるのに。そして本当に心配だったらあのとき赤ちゃんと一緒に帰るって言わなかったの?心配じゃないのに病院言って金だけはオレたちが出すの?、、、だからなぜか?って聞いたら苦笑いして自分で薬代の35Rsを財布から出していた。俺たちはこうして出すお金と出さないお金を区別していった。ケチに思われるかもしれないが、それがこの壁を渡るコミュニケーションだと思ったから。








このことについて会話もたくさん重ねたが、最後までマノーズのくれくれは続いていた。一緒にいたゆうすけくんが言っていた。物乞いの子がなんであんなにしつこか。あれだけしつこくして100回に1回ものやお金をもらうことができたらその子はその100回にかける。そしてこの村では男が村から村へと演奏に行きお礼をもらう以外に、女の人が何もしないがヘルプをもらいに村から村へと足を運ぶこともあるらしい。実際マノーズのお母さんがそこでもらってきたものを見せてもらったこともあった。といことはこのガンダルバ自体がヘルプの一族なのか。その生活を見てきたマノーズはツーリストからできる限りのヘルプをもらい、少しでも自分たちの生活を向上させたいというものなのか。これが日本人のオレたちとガンダルバの違い。ゆうすけくんが言う。「この村では金やものの存在自体も無償という枠にはいるのかもね」







オレたちはマノーズの家族、そしてこの村から多くのものをもらった。家族の大切さ、村のつながり、村での自分の役目。ごはんだってめちゃくちゃおいしかった。なによりも子供と遊ぶのも楽しかったし。でもマノーズとはどうしても最後まで金やモノの関係は捨てきれずにいた。だからそれと関係のない子供たちと無邪気に遊ぶことが最高に楽しかった。その中でも日本語を教えてくれといって長い時間一緒に過ごしたジポン。ジボン・ガンダルバ。ジボンのおかげでオレもほんの少しだけどネパーリ覚えたし、ジボンがまたノリがよくて。こんな無邪気な弟ほしいなってかんじでさ。そしてジボンはオレが教えた少数の「カタカナ」を使ってオレの手にこんなことを書いてくれた。『ユウキ・ガンバルバ』。ガンダルバというのはここに住む人たちみんなの名字だ。どういう考えでジボンがこう書いたかはわからないけど、マノーズのことで頭いっぱいだったときだったから、すごくうれしくて、オレたちが考えてることなんて小さいことでもっと大切なことがここにある改めて気づかせてくれた。マノーズもこのガンダルバを、村の人たちを、家族を、赤ちゃんを守るためにオレたちとああいうかかわり方をしたのかもしれないな。







最後にオレたちは、滞在費400Rsを500Rsにして9泊2人分で9000Rs。それと10日目の分を村にと500Rsを2人で1000Rsを村で何か緊急事態が起こったとき用のストックとしてくれと言って渡した。全部で10000Rs。はっきり言ってとてつもない大金だ。今まだ村を離れてからまだ数日しか経ってないからこの金額があってたのかどうかはわからない。そしてオレたちはマノーズと、オレたちが思う友達になれたのかな。








村のみんなとお別れをした後、マノーズとジボンが村からすぐ下にあるバスが発着する町まで見送りにきてくれた。別れ際、最後までマノーズは何か冷たいもの飲みたいと言っていた。そしてそのすぐ横で唇をかみ締めるジボン。オレの手に書いてくれた『ユウキ・ガンダルバ』の字は川に泳ぎに行ったときに消えちゃったけど、それはオレの中にまだ残ってる。おいジボン、別れに涙はいらないよ!またくるからな!ありがとうジボン!ありがとうガンダルバ!じゃす!