2008年10月27日月曜日

中国・香格里拉 シャングリラお坊さん



雲南省の北西。デチェンチベット族の中心地シャングリラ。中国語で書くと香格里拉。麗江で出会った元幼稚園の先生と共に北へ西へ山を登るべく行ってきました。標高3276mの街。実際ちょっと苦しいよね。なんか朝目覚めたら息苦しい。高山病対策は必然。てかなんてったって名前がかっこいい。理想郷よ、理想郷。うひょー!でもホントは元は[中旬]って名前だったんだって。それを中国政府が2002年にかってに変えちゃったんだって。[失われた地平線]という小説の舞台になった理想郷はここだって主張して。ってことは俺が16歳の時にできた理想郷。どんなもんだい?






大理、麗江ときてここはとにかく寒かった。2泊したけど最終日には雪が降ってた。気温でいったら理想郷では全然ない。水凍ってたしね。カちんこチンに。シャワーでねぇし。








そしてここはチベットの人たちが住んでいる。街あるいてるとエンジ色の袈裟を着たお坊さんが普通にバスまってたりする。古城から少し離れた、雲南省のポタラ宮と呼ばれる松賛林寺へ行ってきた。ポタラ宮とクリソツで山の斜面にそびえ立つ寺。エンジ色の袈裟を着たお坊さんがいっぱいいた。寺の中に入り、お坊さんの唱えるお経を聞いていた。なんかお経って落ち着くわー。寺修行の時からなんだけど、ほんっと寺の雰囲気が好き。こっりゃ前世は木魚かなんかかもしれない。そんでぼーっと聞いてたら日本人か?ってそのお坊さんが聞いてきた。そうです。というと急にめっちゃうれしそうに、ここすわれーって言って五体投地するときの座布団みたいなのに座らせてくれた。それでお坊さんは俺の頭に自分の頭をくっつけてなにか唱えて、その後首にカラフルなヒモをかけてくれた。なんだか頭がすっきりした。神聖な気持ちになった。








その後、そのお坊さんはジャパンジャパンと言って、すごく日本を好きでいてくれているみたいだった。寺をでたあとも、若いお坊さんにりんごもらったり。俺は別に日本を代表しているわけではないし、もちろんチベットについての活動もしてないが、俺がたんに日本人というだけでたくさんよくしてもらった。そして寺にいたお坊さんは日本はマルだけど中国はバツだと言っていた。








そして次の日の朝。めしくってるとき、急にエンジの服を着たお坊さんが店の中に入ってきた。なんだろうと思うと、めしくってるにもかかわらずいきなり金を要求。しかも金額指定。四川の地震の写真を見せられ、でもいまめしくってるからさって言ってもしつこくしてくる。なにもわからないまま金だけ要求。店員さんに言ったら、まるでこじきをおっぱらうようにそして逃げるように去っていった。そのあと、なんもなくただたんにお金ちょうだいって言ってきたお坊さんも来た。









なんだろう。この辺の地域じゃあたりまえなのかな。でもたとえ健全は募金活動のいっかんだとしても、少しイヤな気持ちがする。もしこの人たちにお金をあげていたらなにに使われていたんだろう。とにかくしつこかった。そう思われてもしかたないんじゃないか。だから渡さなかった。この日観光客相手に同じことをしていたこの2人を何回か見た。








フリーチベットフリーチベット。日本ではファッションのようにやっている人もみかける。それがいいのかわるいのかは決められない。そして金を要求してきたこの人たちははたして本物なのかニセモノなのかはわからない。どっちにしても俺はあんまり良くないことだと思う。寺にいたお坊さんと金を要求してきたお坊さん、どっちも現実だ。こうやって、理想やイメージじゃない現実のいろんなお坊さんを見たい。自分で確認したい。そしてラサ行きたいけどここからは検問がきびしくて今はいけそうにないらしい。ねぇチベットいけるの?最新の情報ちょうだいよ!くそー!ラダックかこりゃマジで。今はチャンスをうかがう。





あー寒い!!雪冷たい!!息苦しい!!麗江戻ってきました。これからビルマとラオスとの国境の街、シーサンパンナへバスで行こうか迷ってるとこ。24時間バスのるのきつそうだけどがんばろっかな。今は喧騒と湿気を感じたいから。生を感じたい。そして旅人のメッカ東南アジアへ。元陽、河口ときて、いよいよベトナムだ!じゃす!








リージャンのパソコン日本語打てなくて、Ajaxってソフトを使って頑張って書いたんだけどそんなことどうでもいいか。この曲を聞いてお別れ。

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