2009年4月2日木曜日

インド・コルカタ 死を待つ人の家②



患者さんをピックアップしに行ったこともあった。『死を待つ人の家』からタクシーで通報があった現場まで行く。そこには一人の おじいさんが路上に座っていた。足がパンパンにむくみあがり、歩けない様子。もう何日をここにこうやって座っているんだろう。ものすごい悪臭を漂わせ、う んこやおしっこを垂れ流し、大量のハエがたかり、うなっている。ただ、うなっているだけ。そのおじいさんを乗せることを拒む運転手をなんとか説得してタクシー に乗せ、『死を待つ人の家』へ運んでいく。むくんだ足以外はガリガリに痩せて、必死でおじいさんは何かを必死で説明してくれてた。オレらが到着したときは行くことをすごくイヤがっていたが、病院かどこかへ連れて行くとわかると、手を合わせて何回も『ありがとう、ありがとう』って同じ後部座席に乗ったオレに言ってく る。オレなんてほんとなんでもないんだ。ピックアップの仕事を手伝ってくれって言われてついてきたにすぎないんだ。このおじいさんを運んでいくという行為 はしたけどさ。このおじいさんからオレはどういうふうに見えていたんだろう。


  





『死 を待つ人の家』に着き、汚れた体を洗っていたときもそうだ。服を脱ぐのを手伝い、石鹸と水を持って体を洗おうとすると、おじいさんはちょっと待ってくれと 言って脱いだ服を取った。その汚れた服のポケットから1本のビリーとお金を取り出す。10ルピー札が10枚ほどと少ない小銭。きっと物乞いでためたんだろ うその10ルピー札を1枚1枚丁寧にゆっくりゆっくり数えていく。そしてそのお金を水を持ったオレに差し出した。あれはお礼という意味だったのか。日本円 で言ったら200円程のそのお金をこのおじいさんはどんな気持ちで貯めたのか。足が動かなくなり、座ることしかできず、このおじいさんは。。。そんなこと を考えながらオレはおじいさんの汚れた体を一生懸命洗っていた。






こ こに来る人たちは身寄りの無い人がほとんど。身寄りがあってもそこでは生活できない人たち。インドの田舎から多くの人がお金を求めてコルカタにくる。だけ ど仕事なんてものは見つからず、そのほとんどの人が駅など人のあつまるところで物乞いをしている。コルカタの中心駅であるシアルダー駅とハウラー駅に実際 に見に行ってみたがやはりそういう人たちが多くいた。駅は雨もしのげる場所である。そしてひとつ気になったのが精神を患っている人が多かったということ。 マザーハウスの施設には精神患者さんの施設もある。こうやって生前、マザーテレサも駅に足を運んだんだろう。








こ のように『死を待つ人の家』は物乞いの人たちが多い。そしてオレには家族も友達もいた。テレビもあったし、本も音楽もあった。そんなことを考えながら焼か れる順番を待つ。この人たちは物乞い。物乞いはカーストに存在する。現在のインドのカースト事情がどこまで厳しいものかは詳しくは知らないが、ここにいる 人のほとんどがおじいさんだ。物乞いとして生まれた人生。人口密度の多いこのベンガル地方では仕事もない。その人生のほとんどを路上で物を乞いて生きてき た。路上には子供の物乞いもいる。そして多くの老人もいる。この路上で子供がこの老人へと変わっていく人生の過程を想像できますか?








そ してオレが運んできた2つの人の順番がきた。ブラザーと2人でその死体を持ち上げ、カマのすぐ前のレールの上まで運ぶ。運び終わる前に開くカマ。その2つの死体はレールの上を一息もつかぬ間に走りだす。ガタンッ。カマが閉ざされるとすぐに火を炊く音が聞こえ始めた。それを見ていたのはブラザーとオレだけ。この人たちの生きてき た人生の過程ではない。








DEARマザーテレサ。マザーの言っていたようにオレはこの人たちに愛をあげられていたのかな。昨日仲良く話してたおじいちゃんに、今日死んだおじいちゃんに、きちんとマザーの言うような愛をあげられていたのかな。マザーテレサさん、オレはあってたんですかね?








感 じること、考えることが多すぎた4週間弱だった。この旅の中で一番長くいた場所だ。普段はこんなんじゃないのにかっこわりぃ話、泣いてしまうことが多かった場所 でもある。まだ消化しきれてないことも多い。そしてここでの多くの出会いに感謝。これも長く居ついた理由のひとつ。特にスミコさん、風に立つライオン。19歳のときからおさえつけてたモヤ モヤをよみがえらせてくれた。医学への道の模索。『愛の反対は無関心です』BYマザーテレサ。かっこつける気はないけど、やっぱりオレは無関心じゃいられ ない!じゃす!




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