2009年1月10日土曜日

ミャンマー・バガン  いやんばがん




富山県高岡市在住のカヨさんからの質問のお便りで「ミャンマー人は顔に泥塗って歩いてるってほんとですか?」っていうのをもらいました。ではゆうちゃんぐーすアンサー。。。はい違います!ミャンマー人の特に女性と子供が木の幹を摩り下ろして作った「タナカ」というベビーパウダー状のものを顔に塗ってあるいているのです。それが泥みたいにみえたんでしょうね、この高岡市のカヨちゃんは。おしいけど違いますよー。ちなみにこの写真の女の子のタナカはリーフできれいに形度っています。かわいいですね。そしてもうひとつのミャンマー人のビジュアル的特長。ミャンマーの人は「ロンジー」という布を腰に巻いています。これは女性だけでなく男性もこの布をスカート状にして街を歩いています。








マンダレーからバガン行きの夜行列車。マジでギザさむすな列車空間。すべての窓が窓としての役割を果たしてなくて、大きく空いたその隙間からびゅんびゅん冷たい風がイライラとともに俺の顔面と上半身に侵入してくる。たとえるならば、防寒具なしでいけるだろうって真冬に原付乗って、マジ無理ってくらい寒くってやべーっと思ってたら大きい道路出ちゃってとりかえしのつかなくなったあのときの持ち。この冷風地獄夜間飛行は朝まで続きます。これじゃやばいって、思いついたのが冒頭で言ったこのロンジーを顔にぐるぐる巻きにすること。周りにはきちんと腰に巻いているミャンマー人。そのすみっこにはミャンマーの伝統衣装ロンジーを顔にぐるぐる巻きにして逆に息できなくなってくるしそうにしてる外国人。そんな笑い声が俺の体を火照させて、無事バガンにつくことができた。








世界三大遺跡群のひとつバガン遺跡。ちょうどいい遺跡の上へ登りあがって周りを眺めてみたらそこには無数の遺跡が広がった。聞いてみたら約2500個だって。こりゃすごいわ。アンコール遺跡より数でいったら多いよ。その大遺跡群をチャリでダッシュで駆け抜ける。超越炎天下。なんとか一番有名な『アーナンダ』っていう遺跡に着いたら疲れちゃって寝ちゃった。暑い外で中は冷たいタイル。ビルマ人がお祈りしてるとこを観てたらうとうとしちゃってさ。まったく寺って気持ちいとこです。そしてこの街のマーケット。なんだろう。申し訳ない、言葉にできないんだけど、魅力的で惹きつけるままにビデオで撮影した。




この遺跡の数が多いって不思議。普通信仰の場所なんて地域にひとつ大きいのがあればたりると思うのに。遺跡ってようは寺みたいなもんだからこんだけあるってことはここはかなりの信仰の種類、方法があったんだろう。それにしてもぶわーっとこれだけの数ってどういうこと。いまも遺跡として残ってるっていうことはその全部をなにかに使ってたって証拠だ。気になる!ちなみに今も使い続けてる寺もたくさんあります。これもおもしろくて、寺の中のブッタ像の後ろにピカピカ光る電気で後光を作っている。まるでクリスマスツリー。日本人だったら古いものはそのままにしておいたほうが神聖ってかんじするけど、ここミャンマーは寺をどんどん作りかえる。それは信仰に対する人々の感覚が今も昔も変わってないってことだろう。ブラウン管が大好きな現代人に合わせて電気でピカピカと。今も信仰の形を作り続けているんだ。




列車のせいで風邪ぎみのバガン最終日。近くのモネストリーに招待されてきた帰り道。ひとりの青年に呼び止められた。「JAPANESE!」。気の強そうな青年だ。腕を掴まれ、なにもできないままついていくと、家の中に連れて行かれた。そこには寝たきりのお母さんがいた。青年曰く病気だという。あまりにもガリガリに痩せて、犬のように唸っている。俺はどうしていいのかわからなかった。そしてこの青年がなにをしたかったのかもわからない。帰り際の「DON’T FORGET ME!」って言われた。








なんとなくは伝わったけどそのことの真実が知りたくて、バガンの宿で働いてる日本語を話すので仲良くしていたフミヤさんという人に聞きに言った。その青年は俺の知らない人だが言いたいことはなんとなくわかる。ただ援助がほしかったのと、こういう人がいるってことを忘れないでほしいってことだって。いったい彼の目からは日本人はどういう風に写っているんだろう。そしてミャンマー人の目からは。俺はあのとき日本人としてどういう態度をとったら良かったのか。日本人旅行者は日本人の代表である。彼が掴んだ腕と真剣な目を俺は忘れないことにする。




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