2009年4月26日日曜日

ネパール・カトマンズ VIPASSANA瞑想②

この呼吸法を2日半ほど、つまり25時間ほど行ったプレヴィパッサナの終わり。いよいよ本題VIPASSANAへと入っていく。今度は鼻だけでなく体全体の感覚に意識して観察する。頭から足へ、足から頭へ、はじめは小範囲で少しずつ動かしていき、徐々に大きな範囲、そして体全体へ、さらには体の内側までというもの。すべては体の自然な感覚のみ観察しましょう。








そ してこの瞑想を行っている間は目は開けてはならないし、体も動かしてはならない。これがきつかったわ。座布団をひいているとはいえ、どうしても瞑想の1時 間体を動かさないと足や手 や背中がしびれてくる。睡眠しているときだって動いてないように見えてそれらを回避するために無意識に体を微妙に動かしているもの。マジこれきつかった わ。しびれ や痛みすら自然と観察しなければならないってやつ。マジ自分との戦い。てかさ、こんなこと言いたくないんだけどさ、隣に座ってたネパーリがマジうるさくて さ。初日からずっとうるさいの。せっかく自分 の中の強敵「もしかし亭迷子」を打破できるようになってきたのに、今度はこっちがうるさくて集中力がぶれる。鼻をグチュグチュグチュグチュやったり、く しゃみだってありえないくらい大きな音で最高9回だよ。9回だよ9回。あと1回で10回だよ。どんだけ噂されてんねん。しかもオレの集中力が切れそう になって、ダメだ!集中しなきゃ!って気合入れなおそうとした寸前とかに屁とかこくし。また「ブー」とかいうかんじじゃなくて「ぷぃ~ん」とかいう生暖か い高温。どちくしょう、負けてらんねえ。このネパーリは目覚めた人ブッタさんがオレに送った刺客だとかんがえるようにした。まあ慣れてきたのかそんなかん じでだんだんと気にならなくなっ ていった。そしてこの人はきっと蓄膿症で瞑想はさぞ難しいだろうなと思うようになっていった。これもVIPASSANAの教えである、すべては自分の中に あるということなんだろう。結局ムカツクと思って自分をいやな感情にさせていたのも他者ではなく自分なんだ。あと、集中できないよー、ムカツクよー、と 思っていたときに気づいたら大量の涙が流れていたことがあった。いくらムカツクとは いえ、こんなにあふれるほぼなくことってあるの?これもVIPASSANAの成果のひとつで、体の今を観察することにより、自分の心の奥底に押し込めてき た過去の感情が表れてくるというもののあらわれなのだろう。そういえばこの大量の涙が流れたくらいからこのネパーリが気にならなくなっていった。








VIPASSANA をはじめてから、だんだんと体を動かさないでいる時間も伸びていって、6日目についに1時間体を動かさずに瞑想できた。こういうのあんまり書きたくない んだ けど書かせてもらうと、神秘体験ってやつ?が、そのとき起こった。瞑想を始めて1時間もたちそうな少し前、たぶん30分から45分が経過したあたりだと思う。いつもそ のへんから体のしびれ が我慢できなくなるんだけど、このときもそうだった。でもどうしても負けたくないから、思いっきり意識を強く保ってもちこたえていた。でもどうしても左 足がしびれてしかたない。やばい、自分で動かす前に左足が痙攣してきた。なんやねん、ちくしょう、左足。「おい!左足。動くな!今お前を観察してん だ!」って心の中で叫んだ。この時点で今考えれば脳はふっとんでるかもしれない。だって左足に話かけてるからね。「動くな!このしびれ自体が幻想なんだ! 左足!」。その瞬間に体がぶわっと浮いてまるで逆バンジージャンプのように自分の意識がロケットみたいに発射された。周りでめいそうをする人たちがいる感 覚はある。でも意識が上へ上へぶっとんでいく。意識の回りに風を感じる。とっても気持ちがいい。うわーこのままどこまでいくんだろう。それにしても信じら れない状態なのに、意識はまるで平常心。うわー、気持ちいい、ああ、でもだんだん風の感じが弱まっていく。あー終わるかもって思ったら上空で一瞬ふわっと 浮いた。そしてそこで見たのは丘。 その丘には7人くらいの人が立っていた。1番前に立っていたのは白髪のヒゲがはえてハゲのおじいさん。その姿をみたら今度は意識がゆっくりと下へと落下し ていく。 ゆっくりさゆっくりまた風を感じながら落ちていき、ああ戻るなって思ったらなぜか隣にいるネパーリが指をパチって鳴らして、その音と同時に意識が体の中に 戻っていった。いったいなんな んだろうと、そして気づくと足のしびれは消えていた。時間の感覚もぶっ飛んで、そのまま初めての1時間達成。こえー!でも後から瞑想先生に質問したら、こ の体 験もただの幻想にすぎないということらしい。今の自然な体の感覚を観察できていないだけ。こういう神秘体験もただのイメージにすぎないという。確かによく 考えてみたら俺がみた白い ヒゲのおじいさんってイメージ上の神様の存在っぽいかんじだった。そして7人っていうのも七福神的なことかな。まだまだか。うーむVIPASSANA難し い。








なんちゃって神秘体験を経て徐々に瞑想をしっかりとできるようになっていった。この次の日からは1時間体を動かさないのもあ たりまえになっていき、その中でど れだけ体の感覚を観察できるかというもののなっていった。初めは小さい部分だけだったが、範囲も徐々に大きくなり、頭から足へ、足から頭へとしっかりと意 識 を動かしていった。








VIPASSANAとは心の浄化。体の今を観察することで過去と未来を絶つ。そうすることで過去に押しためてきた感情がよみがえってくる。成長していく上で過去に経験した感情がこころのすみっこにおし溜まって残ってしまっているという。わかりやすくいえばトラウマのようなもの。オレの心からも幼少期の感情の記憶 から最近の旅の感情の記憶まで、多くの記憶があふれよみがえってくる。こんなに小さいころの思い出忘れていたよっていうことにも改めて気づく。それが気持ちよくっ て、でもすごくつらくって瞑想をやめたくなることもあった。というか実際にやめて外に出てしまったこともあった。この感情のあふれはあまりに細かくて書き きれない。そもそも文字にまとめられるものではない。だけど、オレはこんなにも悲しみを背負っているんだと少しさみしくなった。








今までは書 かなかったが、オレは16歳の時に1年ほどある病気で入院していたことがあった。なによりも、そのときの。そのときの感情の記憶があまりにも多くあふれて きた。数々の負の感情の記憶。くそったれだ。年月を経て理性では超えられたとしても、ここそのすみっこに負の感情の記憶としてたくさん蓄積されていた。と同時に体にも 変化が起こり、涙がどんどんあふれてくる。こんな大量に涙は普通はあふれない。入院中だってほとんど泣いたことはない。それなのになんで、今、泣いてしまうんだろう。








そ の中でも入院中のオカンの生活。この記憶が強くあふれてきた。ほぼ毎日病院にきてくれたオカン。自分の生活を犠牲にして、ほとんでがオレのための生活。家から病院ま でのラッシュの時間帯に渋滞で動かない車の中でどんなことをオカンは考えていたんだろう。入院中に腰が弱くなって倒れたことがあった。このときも誰よりも早 く、ものすごい形相でかけっつけてきてくれた。当時、オレは反抗期?だったのかな。ぜんぜん素直じゃなくてそんなことどうでもいいとはじいていた。少し恥 ずかしいけど、今こうして思えることは少しは成長したのかなとほんの少しだけ思うようにしたい。家族を大切にと。









こういう状態を繰り返してい くうちに心が浄化されていくのがわかるっていうか、これがそういうものだったのかというのがあって、瞑想と瞑想の間の5分間休憩の時に瞑想ホールから外に 出てみると、あまりにも外の光景が美しくみえる。ただ普通の光景、木も花も虫もなんてきれいなんだろう。生きている。生命をかんじる。これが心の浄化な のかな。内を変えることで外が変わった。日本を出るときはあまり感じられなかったんだけど、世界はこんなに美しいんだ。なんだろうこの気持ち、この感覚。世界はとっても美しい。 World is so beautiful!。オレはVIPASSANAという大きな宝物を得ることができた。








この瞑想とあわせてそしてそれを可能にしたのは10日間中の食生活などもそうだと思う。ベジタリアンな健康的で定期的な食事。早寝早起き。山の中のきれいな空気。これら瞑想以外の外から受け取るものも確実に今回影響していると思う。そしてこれらは普段の生活でも心がけ次第で可能になる。ただ困ったことにジャンク好きのゆうちゃんぐーす。テリヤキバーガー超好き。やっぱ実際は難しいかな。バランスとってってかんじだね。健康健康。








そして最終日10日目には VIPASSANA瞑想が終わり話すことが許された。同部屋の白人のおじいちゃん(超うんこくさい)はウクライナ人というのを最終日にて知った。ウクラ イナからVIPASSANAやるためにネパールまで来たんだって。それだけ今の世の中に求められているってことかな。実際にVIPASSANAはインドの刑務所や役所でおこなわれているらしいし。今のぐるぐるまわってる世の中だからこそ必要なのかもしれません。








オレは10日間の コースが終わった今もここカトマンにいる間は夕方1時間グループ瞑想を行っているVIPASSANA CENTERのシティオフィスに足を運んでは瞑想を続 けている。できるだけ宿にいてもやっている。オレはVIPASSANAから大きな技術を得た。はっきりいって10日間コースでの生活を現代社会で行うのは不可能だ。だって1日10時間以上瞑想してたらそりゃ 食ってけません。だからこの技術を得たうえで世俗とどう付き合っていくかがこれからの課題。今はただ模索していこう。ワールドイズソウビューティフルのために。World is so beautiful!じゃす!

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